小説 川崎サイト

 

内田の彷徨


 内田はたまに町をうろつく。彷徨だ。まだ若いのでハイカイではない。しかし、それに近い徘徊をする。意味もなく、目的もなく、歩いている。しかし、目的があったはずなのだが、途中で迷ってしまい、場所が分からなくなるだけで、意味もなく歩いているわけではない。徘徊には目的がある。
 何をかを探しているのだ。ところが内田の場合、意味がない。目的もない。だから単に彷徨っている。ただ、歩くのが目的で、ひたすら歩いている、といえなくはないが、内田はそれほど歩くのが好きではない。だから歩くのが趣味とはなっていない。
 しかし、たまに街中をうろつく。それが狙いがあり、探しているものを見付けるとか、獲物を物色するとかなら、まだいいが、内田にはそれがない。もっと純系なのだ。
 街を彷徨する。
 これは純である。目的があると、けがれるわけではないが、リアルになる。何かのためとかが加わるためだろう。
 内田が彷徨に出るのは、亜空間を漂うため。この空間はリアルなものだが、リアルなことを考えないで、その含みのない世界。
 街ゆく人は大概は目的を持っている。非常に現世的なことで動いている。それであたりまえであり、普通だ。むしろ意味もなくうろつく方がおかしい。
 その彷徨時は、現世と少し切り放されるのか、それが快い。決して大喜びや、快楽を得られるわけではないが、糸の切れたタコ。鎖の外れた犬。
 だが、その世界は現実の世界なので、決して異次元や亜空間ではない。内田は内田のままで、少し現実的なものと出合うと、亜空間も崩れ、現実空間に戻ってしまう。
 歩いているときは目の前のものを見る。当然周囲もだが、あまりキョロキョロはしない。
 ものを虚心に見る。これは実際には不可能だが、それに近い見方をする。できるだけ意味を重ねない。
 この歩いているだけの内田は、二足歩行のロボットに近い。
 そうして現実の中にいるのだが、しばし亜空間を楽しむ。それはすぐに溶けるような世界なのは、現実の上に少しだけ被さったレイヤーのようなもののためだろう。
「内田か」
 ぞっとするような生々しい現世の声が結界を破った。
「内田か、こんなところで何をしている」
 たまにこういうものと遭遇する。これで終わりだ。
 
   了



2020年7月18日

小説 川崎サイト