小説 川崎サイト

 

不感動する


 茶瓶から音が聞こえない。量が少ないためだろうか。お茶を一杯だけ飲みたかったので、早く沸く方がいい。あとでその湯を使うわけではないので、残しても仕方がない。
 もう聞こえるはずなのだが、音がしない。笛が鳴るはず。それもすぐに。量が少ないのだから。
 それで下田は台所まで行き、火を消した。沸騰しているのは分かっている。
 それでお茶を飲み、ニュース番組を見ていたのだが、そのまま付けっぱなしで用事をしていると、ドラマをやっている。よく見かけるような俳優ばかりなので、取っつきがいい。そしてその俳優がいつもやるような役とか、性格などをそのまま受け継いでいる。悪役は悪役をやっているし、敵か味方なのかが曖昧な俳優も、同じことをやっている。これは終盤白黒が付くのだが、今は分からない。正義の側なら裏切り者になり、悪人側だと、最後は正義の側に付くが、真っ先に死ぬだろう。
 そして、分かりやすい流れで、さっと終わった。
 下村は不思議な感動を受けた。いや、感動のように心が動いたり、感情が高ぶるわけではなく、何か得心がいった。これだな、と。
 ドラマは定番中の定番で、よくある話、最後まで見なくても分かるような展開。いくら定番ものでも変化はある。定番を壊すような斬新さがあったり、展開に少しだけひねりがあったりで、新味を加えるものだ。
 ところが下村が見たそのドラマはもう少し頑張ればいいのにと思うところでも控え目。起伏も意外性も、もう少し何とかなるはずなのだが、定番通りというより、それ以下のシーンもある。
 キャラとキャラとの絡み合い、火花。そういったものも軽い。もう少し頑張れば、迫力が出たはず。しかし、誰も熱演しないでさっと流している。これが暑苦しくなくていい。
 もう何かやる気がないような、そして一応作ってみました程度。出演者達もあっさりとしたもので、いつものことをいつも通りやっているだけ。家業を粛々とやるようなもの。
 下田はそれを見てショックを受けた。これは何だろうかと。
 昔のドラマの再放送ではない。最新のものだ。この時代の旬のドラマなのだ。
 下田はショックを受けたが、それは見ているときではない。終わってしばらくしてから。
 見ているときは退屈というより、余裕を持って見ることができた。安定しているのだ。余計なことをしていないためだろう。そこに何か安堵感がある。安定、安心、その近くだ。
 よくある話をよくある演出でなぞっただけ。それが逆に新鮮に見える。そして何か懐かしいような。
 下田は、この原因が分からない。おそらく駄作だろう。特徴も何もない。
 だが、これが下田にとり、ツボだった。
 下田はもう一度台所へ行き、先ほどの茶瓶に水を差し、そして火を付けた。もう一杯お茶が欲しいと思った。
 
   了

 

 

 


2020年8月16日

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