小説 川崎サイト

 

オートの人


 今日は怠いので、何もしないで、大人しくしておこうと、吉田は朝に思う。起きたときからそう思わないが、支度をしているときの感じで、それが決まる。といっても吉田は仕事人。かなりの激務。だから何もしないで大人しくしていることなど不可能だが、意外とそれができる。怠いのは身体が怠い。頭も怠い。だから力を加えないこと。体重をかけないこと。頭もオートで、考えないようする。
 忙しく立ち回っている人ほど、何も考えていなかったりする。いちいち考えているとできないのだろう。立ち止まったり思案すると、それだけ時間を食うし、またさっさとこなせない。これがオートに入っていると非常に軽い。見た目よりも疲れていない。楽というわけではないが、休んでいるようなもの。
 そのオートとは決まり事。段取りのパターンがあり、それを踏んでいるだけ。実際には何も考えていない。
 ただ、そればかりやっていると、創意工夫という面が弱くなる。既にあるものの繰り返しになる。
 ただ、オートでミスした場合、少しは段取りを変えたりする。オートで全てはこなせないのだが、ほとんどのことはオートで行ける。
 吉田が今日は大人しくしておこうと考えるのは、これまでのことをこれまで通り機械的にやるということ。だから静かに何もしないでいるわけではないが、実際には何もしていないのと同じ。頭も身体も勝手に動くのだから。
 しかし、そういう日に限って難しい問題が生じる。オートではこなせないような難題。
「吉田君、出番だ」
「今日は何もしたくないのですが」
「今日も何もしていないじゃないか。高橋さんがお呼びだ。話を聞きに行ってくれ」
「無茶なことをまたいいだしているのでしょ」
「対応できるのは、君しかいない」
「分かりました」
「任せたよ」
「明日行きます」
「急いでおられる」
「今日は怠くて、調子が悪いのです」
「いつもじゃないか」
「そうでしたか」
「顔だけ出せばいい」
「顔だけでいいのですね」
「そうだ。呼び出されたので行く、それで、用は終わり。簡単だろ」
「そういわれれば、気が楽になりました」
「そうだよ。顔だけだよ。顔を見せればいい」
 吉田はすぐに高橋氏を訪ねた。
「どの面下げて来たんだ」
「え」
「よく顔を出せたものだ」
「呼ばれたので」
「何だその顔は」
「顔は顔ですが」
 高橋氏からの厳しいクレームを浴びせられたのだが吉田はその顔で受け止めた。顔面を盾にして。
 高橋氏も蝉のように鳴いていたが、鳴き疲れたのか、発作が治まったようだ。
 吉田は結局は聞き流した。言葉ではなく、ただの音として。
 ここも、吉田はオートで処理したことになる。
 
   了
 


2020年8月28日

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