小説 川崎サイト

 

夏の終わり


 出るときカンカン照りだったので、今日も暑い日が続くと、竹中はうんざりしながらも、夏の終わり、最後の見納め、今年はこれで夏は終わるだろう。夏はまだ続くだろうが、外に出て、夏の気分を味わうのは、この日限り。翌日、また出掛けるのなら別だが。
 夏の暑さを味わう。果たしてどんな味だろう。汗で塩辛いかもしれない。目に汗が入り、染みたりする。
 夏を味わうには、夏を観察すること。それでそれ用のカメラをいつも持って出る。
 そして白壁に浮かぶ木の葉の影。昼間だが影絵だ。葉にはしっかりと輪郭があり、ぼやけていない。ピントの合った影。
 ファインダーを覗いた瞬間、影が薄くなりだし、そのうち消えた。
 陽射しが遮られたのだろう。雲が多い。その雲がかかった。折角のチャンスを逸した。この場所はよく通るので、次の機会もあるが、今日のような強い陽射しではないかもしれない。
 夏を満喫する。それには空が広く見える場所がいい。しかし、雲が結構多い。入道雲のようなものが明快に見えていたのだが、その輪郭が薄らぎ、白い雲がモヤのように立ちだした。白い雲に灰色が混ざり、太陽は見えなくなる。そのおかげでカンカン照りではなくなったので、歩きやすいが、これは目的に反する。日陰を探さないといけないほどの炎天下を期待していた。そして影に入り、ほっとする。そういう図ができている。
 そのうちパラッときた。俄雨だろう。雲の隙間から青空が見える。それで安心していたのだが、雨は大粒。それがパラパラと地面を打つ。まるで機関銃。この雨弾の密度だと死ぬだろう。数発は被弾。
 傘を差しておれば、パンパンと五月蠅いかもしれない。いいおしめりで歓迎する人もいるが、竹中は暑さを求めていた。
 当然傘など持ってきていない。そんなとき用の折りたたみ傘はあるが、持ち出すことなど思いも付かなかった。晴れ渡っていたのだから。これが少しでも雨の気配を感じるような雲が出ていたりすれば別だが。
 雨は強くなり、歩道を叩く、煙か湯気か埃か分からないきな粉のようなのが立つ。
 竹中も立ち止まってられない。濡れるだけなので。それで、歩道横にある小さな児童公園に逃げ込む。何もないが、よく茂った樹がある。その下に入れば少しはましだろう。
 軒下を借りるという手もあるが、道端にそんな軒などいきなりない。門があるし、塀がある。母屋の軒など、長屋にでも入り込まないと無理。または店先。だが、周囲に店屋はない。
 雨宿りの樹を見ると、赤い小さな実が成っている。サクランボに似ているが、桜の木ではない。
 その実が雨に濡れて宝石のように光っている。赤にも種類があり、色目の違う実がいい感じで配置されている。
 しかし、ポタッと水滴を首筋に受けた。大粒の雨よりも、この樹から落ちてくる水滴の方が玉が大きいようだ。
 これでは何ともならないと思い、竹中は大降りにならないうちに、引き返すことにした。しかも急いで。
 鹿も急ぐ雨。
 そして家に近付いたとき、雨はやみ、陽射しが戻った。
 所謂狐の嫁入り。これがあると、夏は終わる。
 
   了
 


2020年9月3日

小説 川崎サイト