小説 川崎サイト

 

家宝の名刀


「岸本嘉平殿はご在宅か」
 奥から岸本が出てきた。
「私が岸本嘉平だが、何か」
「あ、人違いだ」
「人違い」
「別の人だった」
「このあたりで岸本は私だけだが」
「いや、わしの知っておる岸本殿ではない」
「そうか」
 岸本は奥へ戻った。
「いや、やはりあなたかもしれない」
 岸本が振り返ると、その男は既に廊下にいる。上がってきているのだ。
「確かか」
「確かめたい」
「それより勝手に上がり込んでは困る」
「つい」
「まあ、奥へ来なさい。といっても家人はおらん」
「やはり岸本殿じゃ」
「何故分かる」
「困った顔をしたとき、頬に皺が寄る」
「いま家人がいないのでもてなせないが、よいか」
「お構いなく」
 岸本と男は、奥の小書院風の座敷で白湯を飲んでいる。
「喉が乾いていたので、これはいい」
「まだ暑いのでな」
「そうですなあ」
「ところで、私に何の用だ。それに用も聞かずに座敷に通したが」
「ご無礼いたしました」
「で、用とは」
「もう一度岸本殿にお会いしたかったのです」
「もう一度とは、一度会ったか」
「はい、戦場で」
「どの戦いじゃ」
「先年の」
「確かに私も加わった」
「合田新兵衛といいます」
「その方の名か」
「名乗ったはずです」
「忘れた」
「あのとき、見逃してくれました」
「敵だったか」
「そのときのお礼をと」
「私の名をどうして知った」
「同僚から教えてもらいました」
「そんなことで来たのか」
「わしにとっては命の恩人」
 合田新兵衛は刀に手をやった。
 岸本嘉平は身体をぐっと反った。
「お礼でございます」
 名刀らしい。
「旧主から頂いた家宝」
「そんな大事なものを受け取るわけにはいかぬ」
 合田新兵衛は刀を抜いた。
 岸本は片膝となる。
「ご覧下され」
 黒光りし、角度を変えると、真っ白。
「おお」岸本嘉平は手に取って、じっくりと見た。
 既に刀は合田新兵の手にはない。
「受け取って頂きたい」
 合田新兵衛は鞘も渡した。
「うむ」
「これで、すっきり致しました。礼を言いたかったのです」
 合田新兵衛はすっと立ち去った。
 勝手に屋敷に上がり込み、勝手に出ていったことになる。
 岸本は、そのとき、やっと思い出した。確かに見逃した敵がいた。手傷を負っていたためだ。確かに合田新兵衛と名乗っていた。
 数日後、岸本は合田新兵衛について、家中の者に聞いてみた。
 先の戦いで、亡くなっていたとか。
 負っていた傷が深かったのかもしれない。
 合田新兵衛が先日来たとき、置いていった名刀は、まだ残っている。
 岸本はそれを家宝とした。
 という言い伝えが岸本家に残っている。
 
   了


  


2020年9月12日

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