小説 川崎サイト

 

秋の収穫


 稲が黄金色になり、もうすぐ刈り入れ。今年の収穫だ。
 それを見ていた田岡は少ししょんぼりとした。田植えをしなかったので、当然稲など実らない。刈り入れ時でも、刈り入れるものがない。だが、田んぼはあり、水田状態になっていたためか。ヒエとかアワが育っている。当然それより背の高い草も。水は涸れているが、草の種類は多い。中には実がなっているのもある。植えた覚えはない。マメ科の何かだろう。あとは庭鳥の餌のような葉っぱの大きいのが目立つ。決して野菜として食べる人などいないだろうが、細かく刻んであく抜きをすればいけるかもしれない。塩をたっぷり入れて漬物にしてもいい。
 稲作ではなく、草作だが育ては覚えはない。勝手に生えているだけ。
 それらの草にも勢力争いがあり、負けて枯れている草もある。
 決して収穫がないわけではない。売れない草だが。
 そして虫が多い。それらの虫も売れないだろう。
 収穫とは言えないが何かを得ている。そのまま放置すれば、冬になればそれらの草も枯れるかもしれない。刈り入れるのなら今だ。牧草になるかもしれないが、家畜は飼っていない。
 田岡はこの時期憂鬱だ。何もしてこなかったのだから、当然のこと。秋の祭りはない。収穫がないのだから。
 荒れ放題の田んぼだが、コスモスが咲いている。これが収穫だ。これも植えた覚えはないが、去年も同じ場所で咲いていた。
 米とコスモス。価値は米の方が高いのだが、花もまた別の意味で価値がある。花より団子だが、団子より花の人もいるだろう。
 地味だが価値のあるものは派手な花は咲かさないで、しっかりと実だけを付ける。
 しかし田岡は花を咲かせてしまった。だが、勝手に咲いているだけなので、栽培したわけではないし、コスモス畑にしようと考えたわけでもない。
 何もしていなくても花は咲く。誰もが一生のうち一度は花が咲くと古人も言っている。
 しかし花では食えない。
 だが、田岡の田んぼは人気がある。野原のようになっているので犬の散歩コース。多くの犬の散歩人が来ている。集まっていることもある。
 子供は虫籠を持ち、網を振り回している。
 また、道行く人も足を止め、コスモスやその他の野草を見ている。
 田岡はそれらの人を見る度に、これが収穫ではないかと思ったりした。
 
   了


  


2020年9月18日

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