小説 川崎サイト

 

近出


 秋晴れの清々しい晴天だが田沢は部屋でじっとしている。病気ではない。元気だ。ただ、一日中じっとしているわけにはいかない。一人暮らしなので食べるものを買いに出る必要がある。意外とそれで日に何度も外に出ているのだが、これは計算に入っていない。つまり、日常移動範囲というのはじっとしているのに近い。部屋の中を移動するようなもの。冷蔵庫へ行くのと同じようにスーパーへ行くだけ。その往復は確かに外だが、そのように思えないのは、馴染みの道のためだろう。
 これは晴れていても雨でも関係がない。家の中での移動で傘を差す必要はないが。
 要するにいい天気なので、出掛けようとする気がない。その必要がないため。しかし年々その機会が減っており、出掛ける回数も減り、その距離も短くなった。これはお出掛けをした場合だ。遠出を楽しむとかの。
 それで田沢は最近、「近出」を楽しむようになった。しかし、遠出もそれほど楽しく思えなかったりすることが多いように、近出も同じ。だが、近いので引き返しやすいし、交通費もいらない。
 日常最低限のことでしか外出しなくなった田沢だが、この近出に関しては、勢いがいい。
 その近出とは日常移動の道筋から少し離れること。つまり寄り道。その距離は大したことはない。だが、それは無駄なことで、意味がない。寄り道しないといけないような事情はなく、遠回りになるだけ。
 遠回りになったので、遠くまで来た、遠出した、とは当然思わない。近すぎるため。
 しばらく行くとすぐにいつもの日常移動の道に吸収されたりする。
 線で移動していたのを面で移動するようなもの。ローラー作戦だが、それで近場だが遠くへ来たような錯覚をたまに覚える。こんな場所があったのかと思うような驚き。アメリカ大陸を発見したわけではないが。
 この驚きは、実用性がない。何かに役立つわけではない。田沢が知らなかっただけ。
 そして知ったからといって何かが起こるわけではないが、一寸した刺激になる。旅行や行楽の目的もそれだろう。普段見ないものを見る。それがいいのだ。
 日常移動場所に駅がある。もうかなり乗っていない。電車で出掛けるような用事がない。買い物のほとんどは近場で済む。そこで売っていないものはネットで買う。
 踏切待ちで、通過する車両を見ていると、たまには乗ってみたくなる。それで用を適当に拵えて、乗ったこともある。しかし、外から見ていた感じと、実際に車両の中での感じは違っていた。まるで、部屋でじっとしているようなもので、これは逆だろう。
 
   了
 
   


2020年10月16日

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