小説 川崎サイト

 

心がけ帳


 作田は心がけ帳を作っている。そういう帳面や手帳やファイルを持っているわけではなく、これは心がけなのだから、一番アクセスの早い心の中に持っている。実際には頭の中に心がけ帳があるのだが、心が何処にあるのかというと、これはまた難しい。どうも脳みその中だけにあるとは限らない。
 物事を判断するとき、心がけ帳が参考になるが、ワンクッションある。心がけ帳を繰る必要がある。しかし、とっさの場合、心がけていない動きや判断をしてしまうもの。
 作田の心がけ帳にはいい心がけが一杯書き込まれている。一冊の本になるほど多い。
 そのため、心がけだらけ。それでは窮屈なのだが、心がけを怠ると、良くないことも起こる。そうならないための心がけなので、心がけ帳に従う方が無難。これは知恵だが、知恵も多すぎると、どの知恵を使えばいいのか、そのことを判断する知恵がまた必要になる。
「作田君」
「はい」
「君はわざとらしいんだ」
 確かに作田の心がけ帳は技だ。それが過ぎるのだろう。
「啓蒙書を読みすぎたんじゃないのか。何か作田君の最初の頃の素が消えている。今は仮面を何枚も被り代えているような感じでね。それがわざとらしいんだ」
「啓蒙書は一冊も読んでません。全て経験から得たことを活かした心がけです」
「別に仕事に支障はないんだが、気になってねえ。どんどん君が掴み所のない人間に見えてきてねえ」
「そうならないように心がけます」
「ほら、それが本心とは思えないんだよ」
「本心心がけます」
「まあ、いいけど、自分で自分を操る操り人形のようでぎこちないんだ。不自然なんだ。それでイラッとするんだ」
「苛立たせないように心がけます」
「作田君」
「はい」
「君はいったい何処にいるんだ」
「ここにいますが」
「それは分かっているんだけどね。まあいい」
 つまり作田は心がけだけで、かけているだけ。身についていない。身に付けておればいちいち心がけ帳を繰る必要はない。
 その後、作田は上司に言われたわけではないが、心がけ帳を捨てた。簡単に捨てられるほど大したことではなく、それほど役立たなかったのだろう。
 心がけすぎた作田より、心がけの悪かった作田の方が分かりやすいのか、周囲はほっとした。
 
   了


 


2020年11月1日

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