小説 川崎サイト

 

繁みの中の廃屋跡


 その昔、誰かがいたようだが、今はいない。
「誰なんでしょうねえ」
「分からない」
「いつ頃までいたのでしょうか」
「かなり前」
「といいますと」
「数十年前」
「数年ではなく」
「そう。だから十年ひと昔なのでそれよりもうんと昔」
「でも手が届く昔ですねえ。二十年とか三十年なら」
「年寄りなら、ついこの間のことだろう。私もそう感じるが、指折り数えると三十年前後は経つかなあ。私も年を取った。三十年前の頃を思い出すとな。それで、誰だか分からないが、去ってしまった人のことよりも、自身のことを考えてしまうよ」
「どのあたりですか」
「この近くだ。そこの、こんもりとした繁みの中。今は立ち入り禁止になり、縄が張ってある」
「松茸山かと思いましたよ」
「縄だけなので、緩い。いくらでも入り込める。しかし立ち入り禁止となっているので、敢えて入る人はいない。用事もないしね」
「犬の散歩も、ここまでは来ませんねえ」
「ハイカーも来ない。登るような山はないしね。ハイキングコースにもなっていない」
「その繁みの中、どうなっているのです」
「建物跡が残っている程度」
「そこの人ではないのですね」
「それなら何処の誰だか、大凡分かる。その建物がまだ残っており、空き家状態のとき、私は出合った。三十年前だ」
「どうして、そんなところへ」
「ここから繁みが見えるでしょ。三十年前は煙突が見えていた。屋根もね。だから、こんなところに家があったのかと思い、分け入ったのだよ」
「道ぐらいあるでしょ、家なので」
「裏側から行ったようなので、道はなかった」
「そこで出合ったのですね」
「あれは人かどうか分からん」
「動物ですか」
「まさか、そこまで見間違わない」
「男ですか女ですか」
「分からんが、男だろう。ただ髪の毛は女のように長い」
「年寄りですか」
「皺が多いので、年寄りかもしれんが、髪の毛は白くない」
「じゃ、年齢も性別も不明と」
「そうだな」
「それでどうされました」
「近付いて挨拶をした。空き家に棲み着いたホームレスだと思ってね」
「反応は」
「なかった」
「空き家の中に入られましたか」
「入ったが、別にホームレスの寝床らしきものはなかった」
「そして、何かハプニングは」
「何もない。その人物は私のことなど無視して立ち尽くしていた」
「それで」
「気味が悪いので、家の表側にある道を通って繁みから出た」
「何だったのでしょうねえ」
「君はどうしてここへ」
「里山散策です」
「じゃ、行きたくなったでしょ。あの繁みへ」
「立ち入り禁止でしょ」
「まあな」
「でも、興味はあります。建物跡はまだ残っているのでしょ」
「最後に入ったのは数年前。そのときは敷地跡だけが分かる程度」
「誰が住んでいたのしょう」
「別荘だったようだ」
「じゃその土地は」
「何処かの会社のものだろう。寮のようなものかもしれない。放置しているだけ」
「分かりました。行ってみます」
「しかし、あの人物が出るかもしれないので、気をつけてな」
「不審者ですね」
「数年前、見に行ったときは出かかった」
「何が」
「だから、その人物がだよ」
「でも、数年前にも目撃されたんじゃありませんか。三十年前じゃなく」
「いや、出なかったように思うし、出ていたのかもしれないとも思う」
「はあ」
「微妙じゃ」
「そうですねえ」
 この話そのものが微妙だ。
 
   了




 


2020年11月4日

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