小説 川崎サイト

 

銀杏蛾


 イチョウの葉が黄色い。多くの葉は散って地面を真っ黄色にしているが、まだ枝に葉は豊富にある。いったい何枚あるのか勘定したくなるが、一円にもならない。この葉が小判に変わるわけがないので。
 そんなことを思いながら、上田はすぐ目の前の枝にある葉を見ていた。それらの黄色い葉もすぐに落ちるだろう。
 イチョウの黄色い葉を見るのは今のうち。もう来年の今頃まで見られない。繰り返される四季、折々の変化。上田はそれに関心があるわけではないが、数日限りの黄色い葉だと思うと、意識して見てしまう。それを見たことを来年の今頃、思い出すかもしれない。それには印象深い見方が好ましいが、そんな見方があるのだろうか。
 イチョウの葉に対して何かしたとか、一寸した物語性がいる。印象に残るほど思い出しやすい。
 そして、一枚一枚の葉を見ていたのだが、一枚だけ水平な葉があり、面を向けている。他の葉は全部傾いているのに。まさにイチョウの葉の形をしている。葉の肩が上に来ている。これは印象深いが、探せばいくらでもあるが、そういう角度で見える葉は少なかったりする。げんに他の葉を見ても斜めを向いていたり、横向きになっていたりする。
 それらの中で、いま上田の目の前にある葉は、しっかりと正面を見ている。そして何かの形に似ていると思ったとき、「気が付いたか」と来た。
「蛾じゃよ」
 黄色い葉っぱが喋った。何処に声帯があるのだろうか。葉を笛のように鳴らす人もいるが、葉だけでは鳴らない。ただ風を受けると鳴るが、「蛾じゃよ」とまで、しっかりとした言葉の音色にはならないだろう。
「やはり蛾でしたか」上田は何かに似ていると思っていたものが蛾だと分かり、当たっていたことで喜んだ。しかしそんな問題ではないだろう。擬態した蛾が話しかけてきたのだ。これはもう蛾ではないはず。
「こんなところで何をしているのですか」
「葉が落ちる前に姿を出す」
「じゃ、他のイチョウの葉の中にも、そんな蛾がいるのですか」
「さあ、仲間など見たことはないが、いるだろうねえ」
「どうして姿を出すのですか」
「出しても分からんだろ。見抜く奴などおらん。しかし君は見抜いた。葉ではない何かだと」
「はい、何かに似ていると思った程度ですが」
「その程度でも十分鋭い」
「それで、何をされているわけですか」
「このまま落ちる」
「蛾でしょ。飛べないのですか」
「飛べない」
「はい」
「あまり長く話すと、疲れて枯れ落ちるので、もう行きなさい。妙なものに関わるとろくなことにはならんからね」
 上田はイチョウの木から離れた。
 その夜、風が強く、さらに雨も降った。
 翌朝、上田はその前を通ったが、まだ残っている葉もあったが、あのイチョウの葉に似た蛾はいなかった。下に落ちたようだが、探しても、見付からない。
 少し印象に残りすぎたようだ。
 
   了

 

 


2020年11月25日

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