小説 川崎サイト

 

日常のチャプター


 日常は複数のチャプターで成り立っている。その順番、並びはほぼ同じ。朝起きて、夕食は食べないが、夕方に起きてくれば、それが夕食になるが、起きたとき食べるのはやはり朝ご飯だろう。夕食は晩ご飯で、一日が終わろうとしている頃。日が沈み、暗くなってから。しかし、そのシーンは朝食でも夕食でも変わらなかったりする。照明が違うかもしれないが。
 日常は区切られているが、流れがある。順番があり、それが一つの筋。しかも毎日似たような暮らしぶりだと、昨日のシーンと今日のシーンはほぼ同じだが、これも天気により明るさが違うかもしれないが、ビジュアル的には、似たようなもの。ただ、お膳の上のおかずが違うはず。同じ茶碗と箸や皿でも、盛ってあるものが違う。
 また、茶碗ではなく、弁当だったりするし、パック入りのお好み焼きだったりする。シーンとしての意味は同じだが、一回としてそっくりなシーンは存在しない。
 当然、それを食べている人の服装も違うだろう。いつも着ている部屋着でも、四季を通じて同じではない。
 そしてほとんどチャプターの数は同じ。それが日々繰り返されているのだが、当然本人は今日と昨日の違いは分かっている。絵としては同じようなものだが。
 チャプターの数は同じ、チャプターの中味も同じ。これは自然にその数や並びになっている。結構完成されたもの。一つ欠けたぐらいでは問題はないし、また少し増えても問題はない。全体は似たようなものなので。
 ただ、チャプター内での変化はある。これは演出だろう。やっていることはほぼ同じなので、変えるのは難しいが、演出は変えられる。
 山田は、そういうことを思いながら、似たような日々を過ごしていた。昨日やっていたことを今日もやる。そして順番も同じ。それらのチャプターをこなしていかないと、一日が終わらないわけではないが、決まり事の段取り。山田が決めた段取りだが、いつの間にかそうなっていた。
 演出を変える。それは気分を変えることだろうか。山田はそれに気付き、もしこれを映像で撮られていたとすれば、キャラクタの動きも大事になる。箸の使い方や、歩き方とか、仕草や動き。
 繰り返されるチャプター。それらの筋は決まっており、流れも決まっているのだが、当然山田はそんなことを意識しながら一日を過ごすわけではない。あとで思うと、同じシーンを毎回やっていると分かる程度。
 たまにそれらのチャプター数が減ったり、増えたり、今までになかったチャプターが入ることもある。
 
   了
 


 


2020年12月3日

小説 川崎サイト