小説 川崎サイト

 

伝えられない話


 蛭田はかなりの年寄りだが、貴重な情報や資料を多く持っている。非常にマニアックな世界だが、その道のさらに奥の細道まで知り尽くしている。また生きてきた時代時代に多くの体験をした。これだけ知っている人は類を見ないだろうが、アカデミックなことではないので、その専門家とはいかない。当然そんな学会はないが、学会とかの組織的なものとは合わないのだろう。
 それらの体験を資料と一緒に本にすればいいのだが、本という形にしても、ほとんど売れないはず。
 蛭田を慕う若者がおり、本にしたがった。または体験談を録画し、ネット上に上げたかった。それで何度もその相談で訪れている。早くしないといけないような年。
 しかし蛭田は断り続けている。もしそんな本なり動画が世に出れば、ただでは済まない。ただというのは無料なので、お金が入ってこないということではない。まだ生きている人がいるので、暴露することになる。そんなことをしてまで出しても意味はない。ただのゴシップのようなもので、当事者達に恥をかかせるだけ。またそんな悪趣味もない。
 そこで青年は秘蔵版と言うことで、一般には公開しないので、作りたいと、伝えた。
 それでは出す意味がないのだが、そういう本なり動画があるというだけで、十分だと青年は説得した。
 何故なら、このまま蛭田が亡くなれば、その部屋にある資料類も消えてなくなるだろう。青年が引き取ればいいのだが、置く場所がないし、また本人に聞かないと分からないような資料もある。
 一冊だけの本でも作れるので、その一冊の中に資料の写真も挿入すればいい。そして一つ一つの資料というか証拠品は動画で蛭谷が説明する。
 蛭田は、それでも承知しない。今更昔のことをほじくり返すのがいやで、相手もいるし団体もいる。そして蛭田自身も恥多きことを語ることになる。
 つまり蛭田も共犯。これでは語れないだろう。
 青年はそれでも諦めないで、それではインタビューだけでもいいので、語れることだけでも語ってほしいと頼んだ。
 蛭田は承知した。
 そして、インタビューの収録が始まったのだが、数分で青年は停止ボタンを押した。あまりにも凄い話のため、中止した。
 
   了


2020年12月12日

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