小説 川崎サイト



用事のない日々

川崎ゆきお



「朝起きると何か用事がある日は嫌だなあ」
 河野は出社拒否を続ける不出社社員だった。そういう状態をそのまま認めることが社もできないため、長期病欠となっている。医者の診断書もあるが、形だけのものだ。
 河野は精神的に病んでいるわけではない。しかし心の病の真似は簡単にできる。
 医者の前でボーとしておればそれで十分だった。
 同僚の岡村が様子を見にワンルームマンションに来た。
「今のところ用事はないでしょ。河野さん」
「電話代が自動落としじゃないんだ。殆ど使っていないけどね。コンビニまで払いに行く必要がある。二カ月分溜めているからね、そろそろ切られる日が迫っている。その葉書が入っていたが、見ちゃいない。だから、そろそろだ。いいねえ……この曖昧な感覚は」
「それが用事ですか」
「毎日電話代をコンビニへ払いに行くのなら問題は何もないんだ。いつもの日常パターンだからね」
「簡単でしょ、払うぐらい」
「簡単だよ。コンビニには毎日行ってる。二回行く日もあるなあ」
「じゃあ、そのついでに出せばいいんですよ」
「鞄が小さくてね、年寄りが通院の時ぶら下げているような鞄だ。薬入れだね……あれは。健康保険証なんかもきっと入ってるよ。まあ、その小さな鞄に請求書の封筒を入れるのが面倒でね」
「それだけのことですか」
「よく聞いてくれたね、岡村君。それが面倒なだけじゃないんだよ。いつもと違うことをやりたくないんだ。勇気と言うほどじゃないけど、ちょっとした気合がいる。まあ、電話が切れれば行くがね」
「医者は何と言ってます?」
「岡村君、そんな丁寧な言葉、つかう必要ないよ。同い年の同僚じゃないか」
「いえ、僕は河野さんを尊敬していますから」
「またまた……気味が悪いよ」
「同期で相談相手もいない時、お世話になりましたから。もし僕一人ならノイローゼになってましたよ。会社勤めは初めてだったし」
「無事で何よりだね」
「はい」
「医者はね、分かっているんだよ。僕が休暇を取りたいことを」
「病名はあるのでしょ」
「何とでも言えるさ」
「本当に休暇を取りたいだけの仮病ですか。誰にも言いませんから教えてください」
「そうだよ。これも参考になるだろ」
「はい、僕も苦しくなればやってみます。でも早く出て来てくださいね。僕一人じゃおかしくなります」
「何も用事のない日が続くと天国だよ。一度やってみなよ」
「いつも貴重な意見ありがとうです」
「その丁寧語、やめないとだめだよ。同僚なんだから」
「了解しました」
 
   了
 
 



          2007年9月1日
 

 

 

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