小説 川崎サイト

 

妖怪木泣き爺蝉丸


 一段落付いたので、吉田はのんびりしている。しかし、妙に退屈。緊張が取れ、プレッシャーが解け、リラックスできるのだが、何か頼りない。くにゃっとしてしまう。
 これは休憩が必要で、またやっと休憩できるようになったので、のんびりでもかまわない。
 こののんびりが意外と手強い。のんびりほど簡単なものはなく、何もしなくてもいい。しかし、何か芯がない。目的を失ったためだろうか。ターゲットに向かい邁進する、これが欠けている。
 だが、目的は果たしたばかり。一段落付いたのだから。
 しかし何もしていないと、魂の抜けたような人間になる。魂とは外に向かっての何かだろう。内側だけでは発生しない塊。
 こういうときは余計なことをして時を過ごす方がいい。現実的なことではなく、それとは違うような。
 それで思い付いたのが、森林浴。ターゲットは木。別に森へ行かなくてもいい。一本のそれなりの木があればいい。そしてかなりの大木で太い木が好ましい。これは近場で思い当たるのは神社の神木程度。少し遠出すれば山へ行けるが、その規模ではない。木があればいい。
 森林浴ではなく、林浴でもなく、一本木浴。
 ただ、木から降り注ぐ精気を浴びるわけではない。木に手を当てる。これだけでいい。これの方がディバイスとしては直流。
 駅近くの商店街の裏側に神社があり、その木が見えていたので、そこへ行く。
 遠くからでも見えていたので、大きいだろう。その神社へ入ったことはない。目的がないし、余計な寄り道などしないので。
 吉田は役立つことしかしない主義。
 しかし、その主義では限界があり、今日のようなのんびりしてもいい日が苦手になる。だから一寸非現実なことに走らないと、間が持たない。ターゲットや目的がいる。
 大木に片手でも両手でもいいから手の平をぺたりと当てる。だから細い木だと握るような感じになるし、もたれかかればゆさゆさするだろう。そのため、大木がいい。
 ほとんどやっていないような商店街の横から神社へ抜ける道がある。裏側から入ることになる。今は駅が町の中心だが、昔はこの神社が中心だったのではないかと思われる。そのため、細い道が、この神社に集まってきている。
 狭い路地だが人が意外と通っている。駅への抜け道で、近道なのかもしれない。
 左右の二階のベランダに洗濯物が干されている。
 商店街裏なので、何かの店らしい跡がポツンポツンとある。もう普通の家の玄関になっていたり、物置になっていたり、錆びて開けるのが難しいようなシャッターのままの店跡もある。シャッターがやや波打ち、傾いている。これは開かないだろうと、余計なことを吉田は心配する。
 それでいいのだ。今日は余計なことをしに来たのだから。
 神社前に出たらしく玉垣がある。裏というより、横を突いたのだろう。それで回り込んで鳥居のある正面から入る。
 神木は社の真後ろの繁みの中にある。人が来ないような場所なので、都合がいい。そんなところを知ってる人間に見られると厄介だ。
 田中は一直線に神木に向かい、隠れん坊で鬼を見付けたように、神木にタッチする。これを「デン」と子供の頃に言っていたのを思い出す。
 そして両手をかざし、両の手の平をピタリと幹に当てる。
 そのとき、両手の左右に何かある。幹の両端から指のようなものが出ている。そっと田中は回り込むと、人が幹に抱き付いていた。
 田中は、怖いものを見たと思い、逃げ出した。
 妖怪博士はその話を聞き、それは「木泣き爺の蝉丸じゃよ」と説明したようだが、これこそ、どうでもいいような話だ。
 
   了
 


2020年12月16日

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