小説 川崎サイト

 

見える


 日々安穏と暮らしている高峯だが、たまにはとんでもないことをする。しかしそれは人は知らないし、また誰にも分からない。部屋の中で異常なことをしているわけではない。もし監視カメラで監視されていても、そのとんでもないことは分からないだろう。そのような映像はないので。
 テレビを見たり、寝転がったり、たまに掃除をしたり、料理を作ったり、本を読んだり、散歩に出たり、買い物に行ったりで、全ての行為を監視できたとしても、分からない。
 では、高峯のとんでもない行為とは何だろう。それが行為といえるかどうかは疑わしい。しかし、何かをやっている。これは確か。
 寝ているとき、それを監視されても夢の中までは見えない。ただ、寝返りを多くうったり、寝言を言ったり程度は分かる。何か夢を見ているのだろうと。しかし夢の中までは覗けない。
 それに近いことを日常の中で高峯はやっているのだ。買い物をしている高峯。籠に品物を入れる高峯。何も変化はない。レジに立つ高峯。ここでも変化はない。しかしその最中にやっている。
 何を。
 高峯がそのとんでもないことができるようになったのは最近のこと。実は子供の頃からその片鱗はあったが、気付かなかったようだ。
 例は違うが、家庭科の授業でポテトサラダを作って、昼はみんなでそれを食べたとき、全員中毒のような症状を起こした。これはジャガイモの芽を取らなかったためだと後で分かった。しかし、一人だけ平気な児童がいる。本人は気付いていない。
 それに近いことが子供の頃、高峯にもあった。
 高峯は一人暮らしだが、気楽な暮らしぶりで、また人柄も温和。目立ったところはない。
 とんでもないこととは、この世のものではないものと交流できること。たとえそれが本当でも人には言えないだろう。
 それが見えるのだが、普段は見えない。見る気を起こさないと見えない。
 この見る気を起こすことがとんでもないこと。
 では何が見えるのか。
 スーパーで買い物をしていると、蝶々のようにひらひら飛んでいるものが見える。そして高峯に気付いて近付いて来る。そして肩に止まったりする。そこで世間話をする。当然蝶々は他の人には見えないし、声を出して会話しているわけではない。唇も動いていない。
 しかし、時間は短い。ほんの数分で、蝶々も消える。
 鳥がさえずっている内容が分かっても、大して役に立たないだろう。それと同じだ。
 その蝶々もそれに近い内容しか話さない。賞味期限間近台にトマトがありますよ、とかだ。
 人に話せばとんでもないことなのだが、本人にとっても大した内容ではない。
 高峯はそれが見えだしてから、少し心配になり、いろいろと調べてみたが、一番近いのは妖精らしい。
 これが幻覚なら安いトマトがあることなど分からないだろう。
 高峯が見えるようになったのか、妖精である蝶々のようなものが見えるようにしてくれたのかは分からない。
 
   了
 


2020年12月22日

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