小説 川崎サイト

 

貧乏餅


 大晦日のことだった。吉田は商店街で餅を買おうとしていたのだが、少しでも安いのを買いたい。お金はギリギリ。元旦に餅が食べたい。雑煮を食べたい。これは子供の頃から続いている習慣。実家を離れてからも元旦の朝は必ず雑煮を食べる。
 それが今年は途切れそうだが、餅を買うだけのお金はある。しかし安いにこしたことはない。餅だけの雑煮では何なので、ネギも入れたい。蒲鉾も入れない。しかも正月用の。だが、この時期買う蒲鉾は高いので、流石にそれは避け、普通のちくわにした。
 何故そんな暮らしぶりになったのかは分からないが、本人は全てを知っているだろう。しかし、分からないことにしていた。偶然だと。
 餅が危ない年の瀬になっているのだが、年が明ければ解決するかもしれない。良い年になるかもしれない。具体性は何もなく、また希望の明かりも見えていない。だからこそ餅が必要。
 つまり元旦に雑煮を食べないと、毎年続けていたものが途切れる。これは縁起物。縁が切れる。だから元旦に餅を食べ、縁を引き付ける。そのため、それを欠かしては駄目。
 最初見たパン屋のはずの店で小餅が売られていたが、固そうだし、高い。それでパスする。
 商店街はアーケードで覆われたトンネル。少し薄暗いのは流行っていないためだろう。昔は歩けないほど人がいた。
 次の店を見付けた。ここは饅頭屋だが、つきたての餅を売っている。杵つきと書かれている。指の腹で押さえると、ぐっと沈む。これだろう。と思い値段を見ると高い。先ほどのパン屋の餅よりかなり高い。
 つきたての餅を煮たり焼いたりすると火事になるといわれているので、もう少し古いほうがいい。しかしパン屋の乾パンのような固さでは困るが。
 吉田はさらに奥へと進む。
 この商店街にはたまに来るが、奥まで行く用事がない。まだ店屋が続いているので、餅を売っている店が他にあるかもしれないと思い、吉田はさらに奥へと踏み込んだ。
 それに従い淋しくなってくる。閉まっている店屋の方が圧倒的に多くなり、客も一人か二人いるだけ。しかもよく見ると店の人かもしれない。
 そして餅と書かれた文字が見える。とってつけたような看板だが、紙にそれを書いて貼ってあるだけ。まるで易者のように。
「易」と「餅」の違い。かなり違う。
 老婆が易者のように座っている。テーブルの上に餅が置いてある。後ろはシャッターが閉まった店屋で靴屋だろう。赤さびと埃で凄い色になっている。
「貧乏餅だよ。買っていかんかい」
「貧乏餅?」
「そうだよ。この中に貧乏神がいるじゃわ」
「そんな気持ちの悪い。余計に貧乏になる」
「そうじゃなか。この中の貧乏神は強いんだ。だから他の貧乏神が来ても寄せ付けんと」
「つまり、どういうことです」
「貧乏封じの餅じゃ」
「注連縄にミカンを付けるようなものですか」
「そうそう飾り餅じゃ。大きさも似ておろう」
「これ以上貧乏にならないのなら」
「そうじゃろ」
「はい」
「一つ千円」
「高い」
「安すぎるがな。たった千円で、それ以上貧乏にならん」
 吉田が出せるギリギリの金額だ。餅屋の餅よりも高いが、雑煮で食べるのは一つでいい。
 金運を呼ぶより、悪い金運を断ち切る方がいいと思い、吉田は買った。
 そして明けて正月。貧乏餅を雑煮しにして食べた。
 その年、吉田の貧乏は続いたが、それ以上落ちなかった。
 
   了
 



2021年1月4日

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