小説 川崎サイト

 

楽しみの旬


 ものには旬がある。木の実なら食べ頃のときがあり、当然旬の野菜もある。その時期一番美味しいとか、その時期がピークの事柄で、その手前では早すぎるし、遅すぎると、もうだめな場合もある。タイミングだ。
 いつが旬なのかが分かりにくいのもある。ピークのときだ。その前後なら何とかなるだろう。
 旬はそういったものだけではなく、気持ちの旬もある。一番盛り上がっているとき。それが一番か二番かが分かりにくいが、盛り上がっているときなら適当でいいだろう。その盛り上がりが過ぎれば醒めてしまうこともあるので、旬はある日突然消えてしまう。
 宝の持ち腐れもある。持っているだけで使わないと、そのうち腐ってきて、宝ではなくなる。これはもったいない話だ。せっかくいいものを持っているのに、出し惜しみしたり、使い惜しみするため、結局価値がなくなってしまう。
 美味しいものは取っておき、最後まで食べない場合、その最後ではもう満腹だったりして、せっかくの美味しいものが、それほどでもなくなる。
 そこにいいものがあるのに、本人の都合や流儀とか、思惑で、妙なコントロールをかけ、いいものを台無しにすることもある。
 寝かせておけば価値が出るものもあるが、寝かせっぱなしでは永眠し、もう起きてこないかもしれない。
 旬は独立していて、そのものだけで成立するものもある。花の盛りとかがそうだろう。見る人とは関係しない。どんな見方をしても旬は旬。ところが人と関係する旬がある。旬の花は咲いているが、咲いている場所まで行かない見られない。すると行く日などを決める必要がある。花見などはそうだろう。旬なのだが、そこにいないと旬は味わえない。
 気持ちの旬に関しては普遍性がなかったりする。個人差がありすぎるためだ。その人なりのやり方がある。これは個人により様々。
 気持ち、気分の問題なので、これは本人にも分からなかったりする。気分は勝手に変わる。まるで天気のように。予定していた日になって、気が進まなくなったり、興味がその日は低かったりする。
 ある気分を維持させるのは逆に難しいが、かなり長い間興味を抱き続けていることもある。だが、いつまでも、とはいかない。そのうち醒めてくる。別のものに興味が移るためだろうか。
 だから興味の温度がまだあるうちは旬だといってもいい。そのときにしかできなことかもしれない。
 その旬を体験すると、もう終わってしまうので、楽しいことなら、楽しみも終わるので、これが寂しいので、なかなか実行しないこともある。
 そういうものがあるだけでも楽しいのだが。
 
   了



2021年1月9日

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