小説 川崎サイト

 

申し送り


「雨のようじゃな」
「お出掛けになられますか」
「ああ」
「では用意を」
「いや、番傘だけでよい。それほど強い降りではなさそうじゃ」
「供は」
「いらぬ」
 これは前日と同じ。雨が二日ほど続いている。冬の雨なので、それほど寒くはない。
 疋田清司郎は粗末な羽織に着替え、袴をたくし上げ、下駄履きで外に出た。太刀はなく、脇差しだけ。小太刀の使い手として知られているが、それは道場での話。
 疋田清司郎が二日続けて行くのは近くのお寺。住職とは顔なじみ。檀家でもある。
 その寺の別院があり、一寸した丘の上にある。僧はいないが留守番の小者がいる。用心のため短い目の木刀を腰に差している。寺侍ではない。
「既に来られておられます」
 疋田清司郎の顔を見るや、小者がすぐにそれを言う。早く伝えたいためだろう。
 先に別院に来ているのは志位権六という白髪頭の年寄り。既に隠居の身。疋田の上役だった人で、その役を今、疋田が務めている。
「遅れました」
「いやいや、わしの方が早すぎた。何せ暇なのでな。まだ早いとは思いながら早く出た。雨で難儀すると思ったが、すんなりと歩けた」
「この丘、多少坂がありますが、大丈夫でしたか」
「一度ずるっといきそうになったが、途中で止め、大事ない」
 疋田は小者が桶を持ってきたので、足を洗った。
 本題は上司からの引き継ぎ。表向きのものは既に終わっているが、申し送りというのがあり、これは極秘。
 疋田清司郎は膝を正して聞き入るが、それは大変な話。しかし志位老は気楽な喋り方で、笑談に近い。疋田もそれに合わせて口元をほころばせ、また声を出して笑うこともある。
 これは芝居なのだ。
 小者が茶を入れ直しに来た。
「いるか」
「はい」
「何人じゃ」
「二人」
「よし、下がれ」
 どうやら疋田は付けられたようだ。屋敷を出たあと、それに気付いたのだが、知らぬ顔をしていた。
 志位権六は密談ではなく、笑談を始めた。
 おかしくもない話なので、笑えないが、疋田清司郎はあらん限りの声で笑った。
「やり過ぎじゃぞ疋田」
「そうですなあ」
 引き継ぎの話は、どうやら今日で終わりのようだ。しかし、まだ色々とあるらしい。
 別院から出た二人はぬかるんだ降り坂に差し掛かった。
 その横の繁みから、先ほどの人影が四つ現れた。小者の話では三人と聞いていたが、一人多い。
 疋田は志位老を後ろにやり、すっと前へ出た。
 志位権六が先に太刀を抜いた。
 箕田清司郎は番傘を広げた。
 四人は広田に向かいどっと走り寄ろうとしたとき、滑ったようだ。後ろから小者が竹で突いたためだ。
 将棋倒しのようになり、四人の刺客は泳いだ。
 疋田と志位は、そのまま坂を下った。
 その後、藩内で一寸した異変があったが、大変にはならなかった。
 
   了

  


2021年1月26日

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