小説 川崎サイト

 

梅寒行


 梅見の寒行をやっている人が今冬も出た。初見参。まだ寒い時期に見る花見。桜の咲く頃の花見はポピュラーだが、それよりもまだ寒い頃。春の兆しなどまだまだ出ていない真冬。大寒中の大寒。しかし、今年は暖かいようで、それほど寒くはないので、寒行とは言えないかもしれない。
 寒行なので、薄着で滝に打たれたりする服装が一般的だが、その人は真冬の服装。だから、見た限り行者には見えない。
 それで今年は暖かいので、梅見に来る人が多い。桜の咲く頃と変わらないほど暖かいためだろう。
 梅見の寒行。これは咲き始めたばかりの梅をじっと見る行。それはただの観察ではないかとも思われるが、そういう分析的な頭は動かしていない。漠然と見ている。いや見ていないのかもしれない。
 咲き始めなので一枝に一つ咲いているか、咲いていないかで、丸いつぼみが赤く球のようになっているだけ。これはこれで梅らしい味わいがある。梅干しの酸っぱさが少し入るが。
 その一輪をじっと見続けている。花びらの奥から出ている雄しべか雌しべかは分からないが、それがまるでマツゲのように見える。瞬きするのではないかと思えるほど。
 というようなものは、この行者は見ていない。梅を見ながら梅を見ず。他のものを見ているが、梅の周囲ではなく、目に見える映像ではない。
 一つのものを凝視、ずっと見詰めていると、幻覚が生じる。その人はその梅幻覚を見ている。だから外界ではなく内界を。
 まあ、行とはそんなものかもしれない。
 その場所は山寺の近く。桜の名所だが、その奥に梅園がある。桜が咲く頃で、しかも雨の日に出てくる雨桜の人も、この場所だ。
 桜の花見は人で賑わうが、雨だと誰も来ない。その日に来て傘を差しながら、ずっと桜を見ている人がおり、これが名物になった。
 その人ではなく、梅だけの人だ。別人。真似たわけではない。それに晴れていても来ている。雨桜の人は雨の日にしか来ない。だから流儀が違う。
 ただ、雨よりも、大寒時期はただでさえ寒いので、同じように負荷はかかる。
 今年もその人が先陣を切り、梅寒行が始まる。要するに真似をして、他の人も梅の前に立つのだ。
 そこに立っている普通の人は、桜よりも梅が好きな人だろう。
 中には両方に参加している人もいるが、行は浅い。
 今年は暖かいが、寒い年は、ガタガタ震えるほどで、それで凝視している梅はよく揺れるため、これは時化だ。舟が揺れて船酔いするようなもの。
 寺の住職も、それを知っており、山門前に出している茶店に梅茶のメニューを加えた。売れ行きが良ければ、梅茶漬けを出してもいいと思っているが、そういう梅寒行の趣味の人は限られているようだ。
 
   了

 


2021年1月31日

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