小説 川崎サイト

 

無理な話


 調子の良い日と悪い日がある。昨日は調子が良かったのに、今日は悪い。翌日は良くなる。また、調子の良い日が続くことも、悪い日が続くこともあるが、いつまでも続くわけではない。
 調子は悪いが、少しまし、というときは調子が良いと感じたりする。これは調子が良いときもそうだ。少しだけ劣る場合、調子が悪いと感じてしまう。全体から見れば調子の良い部類に入るのだが。
 さらに朝は調子が良かったのだが、昼は駄目で、夜になると戻るとかもある。一日の中でも変化はある。天気のように朝は晴れていても、夕方は曇っていたり、また夜は雨だったりする。朝の天気が一日の天気ではないので、そんなものだろう。
 当然良い天気もあれば悪い天気もある。天候は万人に影響を与えるし、また同じ体験をするだろう。一人だけ、そう思っている話ではなく。
 室戸は調子の悪いとき、また体調が悪いとき、待てば何とかなると思っている。そのうち戻るだろうと。だから焦らないで、悪いときは悪いまま過ごしている。そこであがいても仕方がないので。
 また、いつまで経っても調子が戻らないときもあるが、そのときは調子が悪いことに慣れてきて、これが標準になったりする。
 しかし、調子というのは何かの弾みで、ポンと弾むようだ。そういうポンを待っているわけではないが、なるようにしかならないという諦観姿勢。
 決して諦めているわけではない。室戸の調子は気分的なものだが、具体的なものが先だっての気分なので、ただの気のせいではない。
 その具体的なものが悪さをしているとすれば、それがどいてくれると治ったりする。室戸の力だけでは動いてくれない場合がほとんどなので、どいてくれるのを待つしかない。
 待てば海路の日和あり、で、この方法は結構忍耐がいる。我慢がいる。
 横断歩道があっても信号がなければ車が止まってくれる保証はない。今なら渡れると思い、サッと渡るのもいいが、万が一というのがある。躓いて転ぶと、すっと渡れない。待てばいずれ車は来なくなるときがある。それほど長くはかからないだろう。
 無理をしない。単純なことだが、無理に無理をしないというのも無理な話だが。
 
   了

 



2021年2月12日

小説 川崎サイト