小説 川崎サイト

 

哲学ノート


 それらしいものが、それらしくなかったり、それらしくないものが、逆にそれらしかったりする。
 それらしくないのに、それらしい。この意外性がいい。それらしくないものや場所に、それらしいものが隠されていたりする。
 近い場所ではなく、遠くに。似ているものではなく、似ていないものの中に。
 王道ではなく邪道の中に龍道が通っていたりするが、元々は邪なるものが王になった場合、邪道に落とされたものが本来の王だったりする。
 王というより正しいもの。だから正邪だろうか。
 正邪入り乱れての戦い。だから、どちらが正しいか正しくないのかが分からなくなる。
 こういうパターンは太古から人や物だけではなく自然界にもある。
「竹田君。また妙なことを考えていますね」
「読まれたのですか」
「日報に書くようなことじゃない」
「あ、つい」
「まあ、君が何を考えているのか、よく分かっていいので、続けなさい」
「はい」
「しかし、業務についてのことも書かないと駄目だよ。でないと日報にならないのだから」
「はい、ついつい哲学ノートをしてしまいました」
「そんなものは自分のノートでしなさい」
「はい、でも、たまにならいいでしょ」
「よく分からないことをよく分からないような書き方では読んでいてもよく分からない」
「哲学ノートですから」
「まあ、気が触れないよう、注意しなさい」
「はい、気をつけます」
「私も若い頃はそういうノートがあり、数十冊ほどあったかな」
「薄いノートでしたか」
「結構分厚い大学ノートだよ。字も小さかったので、単行本が何冊もできるほどだよ」
「その哲学ノート、どうされました。まだあるのなら、読んでみたいと思います」
「焼いたよ」
「なぜ」
「読まれるとまずいからね」
「凄いことが書かれていたのですね」
「大したことはない。ただ、読まれると恥ずかしい。まるで私の弱点をさらけ出しているようなものだからね」
「分かります。恥部を見られているような」
「そうだね、だから君もそんな恥ずかしいことを書くのはやめた方がいい。誤解を招くしね」
「じゃ、日報に書くのはやめます」
「私の同僚に見せたところ、受けたよ」
「そうなんですか」
「笑わせていただいた」
「ああ」
「もっと、そのギャグ、続けてもいいです」
「あ、はい」
 
   了
 

 



2021年2月14日

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