小説 川崎サイト

 

舐める話


 表通りではなく、裏通りの商店街、ほぼ路地だが、そういうところを歩くのが前田の趣味。それはコースが決まっており、毎日そこを通っている。裏道の入口に散髪屋があり、料金が安いので客が多い。裏側にタオルが干されており、白い大きな花が咲いているように見える。散髪屋は硝子張りで、店の人が数人おり、顔を覚えるほど。そこの人も、その時間になると毎日通っている人がいるな、程度には見ているだろう。
 そして、路地の向こうからやってくる自転車乗りがおり、同じ時間帯に同じような地点ですれ違う。友達ではないが、挨拶ぐらいはするし、軽い会話もする。そのほとんどは暑い寒いの話。
 その日も前田は路地の中程の麻雀屋の前に来たとき、その自転車とすれ違った。と、思ったのだが、止まったようで、ライターを借りたいらしい。
 前田はライターを貸す。
「いつもよく合いますねえ。いつもこのコースですか」
 前田は適当に答えていたが、今日は寄るところがあるので、それで思い出した。聞かれなければ忘れるところだが、大事な用件。
「いや、今日はちょっと寄るところがありまして」
「あ、そう」
「一寸した手続き物です」
「じゃ、役所へ」
「いえいえ」
 自転車男はライターを前田に返し、礼を言い、さっと立ち去った。
 前田は裏道商店街の突き当たりで、左へ曲がった。いつもは右だ。用事で寄るのだろう。
 手続きというのは嘘で、貰いに行く。
 役所とかの公的機関ではなく、その先にある古びた長屋。
 その取っつきに子供相手の駄菓子屋だった店がある。今は営業していないが、土間に空の棚などがあり、そこは当時のまま。
 前田の顔を見て、老婆が、ああ、という顔をする。
「しばらくお待ちを」
 と言い、奥に入り、小袋を持ってきた。お菓子を入れる昔の菓子袋だろうか。まだ残っていたのだろう。
 前田は万札を出す。
「これでかなり持つでしょ」
「はい、なくなりかけていたので」
「じゃ、御達者でな」
 前田が買ったのは延命丸。
 丸薬だ。しかし、中味は老婆が作ったあめ玉。
 前田はそれを知らない。
 土間から表に出ると、先ほどの自転車男がいる。
「あ」
「あ」
 と、同時に「あ」をハモる。
 結構飲んでいる人が多いようだ。
 実際には飲むのではなく、舐めるのだが。
 
   了

 


2021年3月13日

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