小説 川崎サイト

 

北中が出た


 春めいてきたので北中は外に出た。毎年のことで、特にいうほどのことでもないし、語るほどの内容ではない。そのへんの虫が起きだして、蠢いている程度。世間の片隅よりもさらに隅の隅、しゃがんで見ないと分からないし、また葉の下や、ドブ板の下などにいたりする。
 しかし、その虫の僅かな移動距離内でもそれなりの影響を与えている。非常に狭い範囲だが。
 北中もそんな感じで、北中が動いても、それほど影響はない。広い世間から見ればの話だ。
「北中が動いたらしい」
「冬眠から覚めたか」
「こちらに向かって来るようです」
「相手になるな」
「心得ております」
「別に用もないだろう。あの北中はうろついているだけで、シカトした目的などない」
「はい」
「しかし、避けよ。関わりになると面倒だ」
 北中が動くことで、周囲の人は避ける。だからこれも影響で、動きが変わってくる。
 だが、北中と遭遇しても、特に何も起こらない。しかし、何か忌みを感じる。その波長がいやなのだ。それで、届かないところまで離れる。
 北中が出たことは、すぐに知れ渡った。その通り道はがらんとし、猫程度しかいない。
「静かな道だなあ」と北中は、その事情を知らないので、呑気な感想を述べる。
 北中が通り過ぎたあと、草木が枯れ、五年は芽を吹かない、とかはない。また咲き始めの桜の蕾がフリーズするわけでもない。
「行ったようだ」
「よし」
「今年も出たなあ」
「夏はいいが、春先は危ない」
 北中を避けなければいけないのは春先だけで、夏は問題はないようだ。そういう事情があるのだろう。理由は分からないが周囲の人達の経験がそうさせる。
 北中は春を感じながら、呑気にそのあたりをうろついている。行く先々に人はいない。たまに幼児が飛び出すが、すぐに親が連れ戻す。
「人が減ったなあ、まだ春先で寒いかもしれん。もう少し立つと人も出てくる。まあ静かでいいか」
 北中はそのへんを一周し、うろつきを終了した。
「北中が出たので、春ですなあ」
「ああ、出ましたか。じゃ、春でしょ」
「今年も出くわさないでよかったです」
「そうだね」
 
   了



 


2021年3月23日

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