小説 川崎サイト

 

妖怪博士の危機


 桜は満開。しかし雨。雨桜を楽しむ人は希。
 桜並木が続く道。そこをこうもり傘を差し、黒いコートに黒い幅広の帽子を被って歩いている人がいる。桜など見ないで。
 男が通る瞬間、桜の花びらがさっと落ちた。男の帽子につきかかったが、背中にきたが猫背に当たりそのまま地面まで落ちた。
 
 その時間、もう一人の男が祭壇で念を送っていた。 
 妖怪博士の足取りは重い。出掛けたくなかったためだろう。桜に興味はないし、それ以前に雨。こんな日でなくても妖怪博士は出不精。しかし、約束がある。
 妖怪博士担当編集者からの命。断ってもいいのだが、是非会って欲しい人がいるとか。編集者が会わせたい人ではなく、ある術者から頼まれたのだ。紹介して欲しいと。そして、できればこちらへ来てくれと。
 その術者の家へ向かって妖怪博士は桜並木の下を歩いている。
 術者の住む最寄り駅を降り、雨の滴を受けながら、老犬が散歩するような足取りで。
 古い屋敷町の奥に、術者の家がある。大きな屋敷だが、住む人がいなくなってから久しく、長く放置されていたのを、術者が買った。
 術者、それは祈祷師や陰陽師のようなものだが、妖しげな術を使う人。鬼道界では有名な人で、弟子も多い。また依頼者も多く、かなり稼いでいる。だから屋敷町の大きな屋敷も買えたのだろう。
 武家屋敷のような大きな門があり、それが開いている。妖怪博士は勝手に入って行く。
 母屋の玄関が正面に見え、左右は椿の生け垣。既に落ちて血のような赤い塊がポツンポツンとある。
 玄関先に立つと、ガラス戸が開き、若い人が出てきた。入るとこを見られていたのだろう。
「妖怪博士ですね。よくいらっしゃいました。師匠は奥です。この廊下を真っ直ぐ行って突き当たりを左です」
 というだけで、若い弟子の丸坊主は引っ込んだ。
 
 奥の座敷に祭壇があり、先ほどからずっと術者は念を送っている。
 
 廊下は古いだけあり黒光りしており、艶がある。よく磨かれているものと思われる。その黒光りを見ているとき、左足がスーと滑りかかった。
 
 術者の眉間はさらにいかめしいものとなる。妖怪博士がすぐそこまで来ているのだ。
「こちらですかな」妖怪博士は板戸の前で、そういいながら、サーと開ける。一度ガクッと引っかかったが、力を入れすぎたのか、勢いがよすぎて、ガタンと大きな音がした。それで、柱にぶつかったのだろう。天井からホコリが落ちてきたのか、それが術者の頭部を白くした。
 術者は背を向けたまま念じ続けている。
「押戸さんとは、あなたですかな」戸とは関係がない。それに妖怪博士がガランと開けたのは引き戸。押戸万然とは術者の名だ。
 術者は念を送り直すため、顔を作り直す。目をかっと鯛のように見開き、鼻を開き、口をねじ曲げ、そして、くるっと妖怪博士に顔を向けた。
「赤いですが、大丈夫ですかな」
 気張りすぎたのか、術者の顔は赤い。
 そして、見開いた大きな目で、妖怪博士の目を射した。妖怪博士はすぐに目を伏せた。これは妖怪博士の癖で、人と会っても相手の目を見ないのだ。
 術者の目は妖怪博士の瞼を射たが、伏し目に当てても効果がない。それに妖怪博士の瞼は分厚い。
 妖怪博士は、ちらっと押戸術士の目を見ながら「目が悪いのですかな。充血しておられるが」というなり、すぐに視線を外した。
 術者は両指を組み、何やら尖った状態にして、上下に動かした。
「手がどうかされましたかな。縺れておりますが」
 術者は指を解いた。
「ところで、何か妖怪が憑かれておるのですかな。それで私を呼ばれたのでしょ。あの編集者、詳しいことを言わんので、困る。私にも準備がある。それ以前に憑き物落としの術など知らんのですがな」
 術者は額に脂汗。力みすぎたようだ。
「まあ、無理をされず、寝ておるのがいいかと思いますよ」
 術者の瞼から落ちた汗が目に入ったのか、さっと拭ったが、痒いようだ。
「残念ながら、憑き物落としは私にはできませんので、お役に立てないので、今日はそういうことで」と、言うなり、妖怪博士はすっと立ち上がり、部屋から出ようとしたが、足が出ない。引きつったのだろう。そのため、ゆっくりと廊下に出た。
 術者は妖怪博士の後ろ姿に念を送り続ける。
 先ほどの黒光りのする廊下で、二度ほどスケートをしたが、そのまま玄関まで戻ると、若い弟子が出ていて、靴を出してきた。
「ああ、有り難う。では、お大事に」
 妖怪博士は、桜並木をまた歩いている。雨は降り続いている。
 桜の花びらが、また妖怪博士の帽子の上に落ちようとしたが、今度もまた無事、通過した。
 
   了

 


 


2021年3月31日

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