小説 川崎サイト

 

桜幽霊


「今年の桜もこれで見納めだな」
「納められましたか」
「目の中にしっかりとな」
「記憶としても残るでしょうねえ」
「さあ、見ただけで例年以下同じ」
「と、言いますと」
「去年の桜を既に忘れておる。その前の桜となると、もう駄目。同じようなものだからな」
「その頃、何か印象に残るような出来事でもあればいいんでしょうねえ」
「そうだな。どんな状態で見たのか、印象に残りやすい。だから何十年も前に見た桜は今でも覚えておる」
「どんな状況だったのですか」
「幽霊と一緒に花見に行った」
「はあ。それは印象に残るどころの騒ぎじゃありませんよ。それに花見どころじゃない」
「そのときは気付かなかった。それが幽霊だったとはな」
「是非、聞かせて下さい。どんな幽霊なのです」
「駄目じゃ」
「え、何が」
「話を聞かれる」
「周囲には誰もいません」
「いや、その幽霊が聞いている。噂をすると出てくる。だからその正体など、少しでも話すと、とんでもなことになる。話せるのは、ここまで」
「それは大変な体験ですねえ」
「もう、この話題はここまで、引っ張るでない」
「はい。では一般の話として、そういうことがないと、花見の記憶など、おぼろげなものですね」
「さて、今年はどうかな。忘れてしまうような印象で何もない花見で終わりそうなのでね。まあ、その方が平和でいいかもしれん」
「桜の幽霊はいるものでしょうか」
「え、またその話か。引っ張るでない」
「いえ、一緒に行った相手が幽霊ではなく、桜が幽霊だったとか」
「ほう」
「普段は出ません。しかし満開になる頃一本増えているのです」
「作り話だな」
「はい、作りましたが、いるような、あるような気がして」
「気付かんだろうなあ」
「そうでしょ。だから幽霊とは、そんなものかもしれません。出ているのに、誰も分からない」
「ほう」
「桜も幽霊になって現れるか」
「あるかもしれません」
「ないとは思うが」
「だから、気付かないから」
「そうだね」
「私達もどちらかが幽霊かもしれませんよ」
「わしは違う」
「私もです」
「じゃ、二人とも幽霊」
 
   了


2021年4月5日

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