小説 川崎サイト

 

新緑と謀反


 葉桜の頃も過ぎたのか、赤みが消え、ただの桜の葉だけの桜の木になり、もう桜など見る人は少ない。
 その頃になると、西田は春負けする。怠くなるのだ。眠気があり、いつまでも寝ていられる。怠さの原因は暖かさだろうか。既に暑いといってもいい。木々の繁みも明るくなる。彩度の高い新緑。
 西田はその先の五月の連休から人生が変わった。温泉行きの長距離バスに乗ったためだ。連休明けで会社へ行くとき、本能寺をやった。
 長距離バスターミナルへ向かう老いの坂を下ったのだ。会社はそちらにはない。
 冬の寒さよりも、夏の暑さよりも、初夏近い春の気怠さが謀反へと向かわせたのだろうか。それは会社に対する謀反ではなく、西田自身に対しての謀反だろう。その先の計画はあるが、実現できる可能性は低い。やりたかったのはこの気怠さから抜け出すこと。それには理由がいる。
 それはもう過去のこと。昔のこと。とっくに忘れていたのだが、今日の怠さで思い出した。相変わらずこの時期、怠いので、怠さが消えたわけではない。
 西田はその後も、謀反を色々と起こしているが、最初の謀反に比べ、大したことはない。細々とした謀反、小さな謀反。それが春になるほど頻度が高いようだ。
 それで、人生が変わるわけではない。変わったのは最初の謀反のときだけ。
 その日も怠いので、何かする気になれない。しかし、そういうときでも謀反だけはできる。怠さを吹っ飛ばしてくれるため、目が開く。
 だが、謀反を起こすには溜が必要。これは一種の我慢劇。我慢した時期が長いほど、謀反も快い。
 西田は新緑を見ながら、だらだら坂を下っている。謀反貯金は貯まっていないので、その手は使えない。
 こうして平日の昼間、ぶらぶらできるのも、最初の謀反のお陰だろう。結果的には謀反は成功したことになる。
 このぶらぶらがしたいだけの謀反だったのかもしれない。大義名分は二の次で。
 桜の花はもう消え、地味な葉だけを付けている。しかし幼い緑色。
 西田はしばらくすると謀反のことなど忘れ、何思うことなく、その下を歩いて行った。
 
   了

 
 


2021年4月11日

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