小説 川崎サイト

 

小事が大事に


 一寸したことは、あまり気にする程度ではないのだが、これが芽で、大変なことになる兆しかもしれない。
 ということが竹下にはあった。それから、一寸したことでも気にするようになる。これは小事だが、大事になるかもしれないと。
 そう思っているときほど、大事にはならないが、ずっと気になるもの。
 それも次の小事が来たとき、前の小事はもう済んだようなもの。注目ポイントが変わるのだ。
 その小事がどの程度発展するのか、または長引くのか、などを考える。
 そうやって心配していることほど、何も起こらなかったりする。
 逆にこれは大丈夫だと思う小事。大きくなることはないとハナから思っていることなので、気にもならない。通過する小事の一つだが、無視してもいい。
 ところが、そういうものほど大変な大事になったりする。過去は小事だったが、今はその小事は非常に伸びる小事で、大事になり、かなり困った状態になる。
 竹下は小事が起こる度に、それを考える。どっちだろうかと。殆どは小事のままで尻切れ蜻蛉で終わる。良性だ。
 小事を見過ごす。小事とも思わないで。
 それが大事に発展する初期状態だったとしても。
 大きいことよりも、小さいことばかりに拘る人は、大事に至る芽として見ているためだろう。その殆どは空振りで、何事もなかったのだが、それはそれでいい。なくて幸い。
 竹下は小さなこと、細かいこと。些細なことに拘るタイプなので、あまり評価は高くない。大物ではなく小物。しかし小動物のカンは鋭い。そうでないと襲われるためだろう。戦うだけの力はない。
 この小動物小者の竹下は転職が多い。またすぐに辞めたりする。これは鼠が逃げ出すようなもので、些細な事柄から、ここは危ないと思うのだろう。そこが潰れるわけではないが、居続けると、ろくなことにはならないことが分かる。しかし、外れることも多いが。
 小物の方が大物よりも、物事や状況などをよく見ている。それは情報的なことや理屈ではなく、感覚的なことかもしれないが。
 大物は細かいこと、小さいことに拘らず、重戦車のように進む。
 竹下もそれがやりたいのだが、小さな石ころがあるだけで、戦車がひっくり返るのではと思う性格なので、それは無理。
 石橋を叩いて渡るタイプなのだが、石橋を叩きすぎて割ってしまい、渡れなかったりする。
 小事から大事を見抜く。これはあとで分かることで、そのときは分からないものだ。
 
   了

 



 


2021年4月13日

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