小説 川崎サイト

 

名与力


「手のあいた者を連れて行ったのだが、小宮という男、あれは何者なの」
「小宮ですか。いましたか、そんな社員」
「印象が薄いか、営業部の平だ」
「ああ、いました。いました」
「印象が薄いのかね」
「いえ、それなら逆に目立ちますよ」
「そうだな。しかし、かなりできるなあ」
「いや、できないから平のままなんです。結構もう年のはずですよ」
「手のあいているものを呼んだら、彼が来た。大事な取引なのでな。一人、誰か連れて行った方がいい。横にいるだけで違う」
「何か、粗相を」
「何処で調べたんだろうねえ。急に呼び出したのだから、そんなに時間はないはず。一応取引内容は伝えたんだが」
「そうでしょうね。何も知らない補佐とか助手とかアシスタントでは、逆にやばいですからねえ」
「小宮君は何も喋らないで、じっと横にいるだけでいいと念を押して、先方と会った。相手は一人だ」
「で、小宮が何か」
「あと一歩で、取引が成立するところになって」
「小宮が何か」
「いや、先方はかなり渋っている。あと一つ欲しいのだろうね、決め手が」
「よくあることですよ」
「そのとき、小宮君がファイルを取り出し、私に見せた」
「ファイル」
「資料だよ」
「はあ」
「私は驚いた。そこまで用意してこなかった。まあ、部下に用意させるのだがね。あのファイルまでは頭が回らなかった」
「それを先方に見せたのですね」
「そうだよ。先方が一番引っかかっている部分、心配していることが氷解するような資料だった」
「じゃ、粗相をしたわけじゃなく、役立ったのですね」
「これで、上手くいくと思ったのだが、先方はまだ駄目なようで、OKを出さない」
「はい」
「そこで、また小宮君が資料の束を出し、私に見せた。先ほど出したファイルを補足するような関連データーだよ」
「ほう」
「先方は、それで満足したようだ」
「何でしょう」
「そうなんだ。あの男、何なのだ」
「準備する時間は僅かはず。それを短時間で、一番のツボとなる資料を集めたんだからね。できる人間じゃないのかね」
「でも平のままです」
「どうしてなんだ」
「人が使えないからです」
「え」
「それにコミュニケーションも下手ですし」
「あ、そうなのか」
「部長はいい人を連れて行きましたねえ」
「結果的にはね。しかし指名したわけじゃない」
「きっと営業部が彼を寄越したんでしょ」
「あ、そう。名与力だね」
 
   了

 



 


2021年4月14日

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