小説 川崎サイト

 

妖怪トンボ


「落ち着かれましたかな」
「何とか小さくなったのですが、まだまだ出ます」
「最初の頃に比べ、ましになったでしょ」
「そうです。最初は小さなものが飛び交っていました」
「それは目にたまに出るやつでしょ。蚊が飛んでいるようなとか、色々ですが」
「小さな渦を巻いていたり、ストローのようなのとか、顕微鏡で見ているような微生物とか」
「それは外部ではなく、内部です」
「それは承知できたのですが」
「まあ、心配なら目医者へ行きなされ」
「はい。でも目とは関係なく、飛んでいます」
「何でしょうなあ」
「しかも大きいのです」
「どんな形の飛行物体ですかな」
「トンボ」
「ほう」
「かなり大きいです。立体感があります。部屋の向こう側を飛んでいるときは小さいのですが、近付いて来ると大きくなります。手で払うと、すっと方向を変えますし、たまにテーブルの上の筆立てにとまったりします。絵筆の先より、大きいのです。しかし、トンボにしては小さいですが」
「じゃ、トンボが部屋の中に入り込んだのでしょう」
「春ですけど、いますかねえ」
「そうですなあ。羽根は四枚でしたか」
「はい平たい羽根が二本で、半透明です」
「頭は」
「昆虫そのものです。仮面ライダーのような頭です」
「ほう」
「これは内部からではないでしょ。目の病ではない。小さな蚊は相変わらず出ますが、あのトンボとはタイプが全く違います。本当にいるのです。私が後ろを向くと、視界から消え、トンボはいません」
「この部屋にですか」
「そうです。私のアトリエです。小さいですが、外光が入ります。今はいませんが絵を書き出すと、出てきます」
「それ以外のときは」
「ああ、ここに入ると、絵しか書きませんから」
「絵を書かないで、じっとしているときはどうですかな」
「さあ」
「今も出ないと」
「はあ」
「じゃ、絵を書き出してみて下さい」
「はい、よろしく観察お願いします」
 そのとき、トンボが現れた。
 まだ絵を描く前だ。
「出ました、博士。トンボです」
 博士にも見えた。
 博士は筆立てに立てている一番長い筆の先にとまっているトンボに、そっと近付き、さっと両手で包み込んだ。
「トンボにしては鈍いので、これはトンボじゃないかもしれん」
 博士は、すぐに逃がしてやるが、出場所がないらしい。それで、窓を開けると、すっと出ていった。
「妖怪じゃなかったのですね、博士」
「そうですなあ。しかし、トンボに似ておるので、トンボだと思うだろうねえ」
「有り難うございました。これで、落ち着いた暮らしができます。ずっとこの妖怪に振り回されていたので」
 妖怪博士は妖怪封じの札を切るまでもなかったようだ。
 
   了


 


2021年4月22日

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