小説 川崎サイト

 

散歩心得


 雨が降りそうだが、日課なので、田口は外に出た。散歩だ。別にしなくてもいいのだが、外に出るのが好き。しかし、用事で出るのは嫌い。
 散歩には用事がない。散歩行為そのものが用だが、別に健康のためとか、他の目的があるわけではない。そのへんを見て回る程度。しかも毎日なので、同じところを毎日毎日巡っているようなもの。季節が巡ると風景も変わる。毎日ではないが。
 田口が外に出るのは気晴らしだった。過去形。以前の話。今は気晴らしが必要なほどしんどいことはやっていないので、一日中家にいると退屈なので、出ているだけ。
 散歩には物語がある。物語の醍醐味は次はどうなるか、どうなっていくのか、などの変化だろう。他にもあるが、繋がりがある。歴史というほどではないが、以前はこうだった、ああだったというのを知っていると、見え方が違ってくる。
 初めての場所は初めてなので、そのシーンは初めて。それ以前の話は知らない。だからそのまま受け止めるしかない。
 ところが、毎日のように、その初めての場所へ行くようになると、僅かながら変化がある。ほんの数日なので、変化といっても乏しいが、それでも行き交う車や人などは日々違う。それらの人々も、毎日、その時間に通っているのかもしれないが、ほぼそんなことはない。ただ、かなりの期間、そこを通っていると、またあの車だ、またあの自転車だ。ということが分かってくる。
 こういうことが分かっても大した意味はない。有益な情報を得たとかではない。余計なこと。
 散歩中はそういうものを受け入れやすい。何らかの物語性、連続性が見出せるので。
 しかし、それは散歩の意味と同等で、どうでもいいようなこと。
 フィクションと違い、筋書きはない。それに何が起こるか分からないのが現実の世界。作り物の舞台ではないので。
 だからリアルな物語が展開されているのだが、結構断片的だったりもする。全体が分からないとか。
 田口は部屋でゴロゴロしているより、外の様子、近所の様子。町の様子。通りの様子などを見ている方が、下手な動画よりも立体的だし、そこに田口自身も登場するわけなので、田口が物語に関与してしまうこともある。まあ、実生活とはそんなものだが。
 それで、その日も、意味もなく外に出て、そのへんを散策して戻ってくるのだが、踏み込みすぎると怖い場所もある。入ってはいけない、立ち寄ってはいけない場所ではないものの、何かトラップがありそうな雰囲気がある。
 身の危険を感じるほどではないが、深入りすると、悪いことが起こりそうな。
 これは、田口の錯覚だろうが、その一寸した怖さが好きで、怖いもの見たさで、一歩、また一歩と、徐々に入り込むこともある。
 これは一種の冒険だろう。知らない店に入るのもそれに近い。
 現実は打てば響く。呑気そうな散歩でも、一歩踏み違えると、散歩どころではない世界へ飛ばされることもある。
 
   了

 


2021年5月19日

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