小説 川崎サイト

 

雨田見行


 雨が降り続いている。梅雨時なので、当然だろう。
 冬の終わりがけ、雨梅を見ていた人がいた。梅見だが、わざわざ雨の日に見に行く人。
 また桜の花見時も、雨の日に限って見に行く人がいた。雨桜だ。当然人が少ないので、静か。何か行者めいた佇まいで立ってはいるが黙想状態。
 しかし、実は雑念が駆け巡っている。座禅などと違うのは、そこだろう。雑念を楽しむ。しかも梅や桜の中で。
 上杉はそういう噂を聞いたのだが、大木に手を当てたり、抱き付いたりするほど一般的ではない。巨木の幹に手の平をピタリと当てる。これはアースだろう。雷がその木に落ちたとき、危なそうだが。
 雨梅は行。雨桜も行。梅や桜に視線を当てているだけで、見ているのは脳内映像。
 冬は梅、春は桜、夏は何だろうかと上杉は考えた。そんな情報は何処にもない。アジサイはあるが、雨の日に見て当然。これは雨の日を選ばなくてもいい、そして雨の中のアジサイは見慣れているので、行にはならない。晴れている日のアジサイでもいいが、花見としては弱い。
 情報は少ないが、雨の降る日、傘を差さずに無闇に歩き回っている人がいるらしい。滝行ではなく、雨行。花見ではないので、上杉は無視した。
 それに雨梅も雨桜も、その木の下で見ているだけで、本人は傘を差している。だから濡れるのが目的ではない。
 雨と晴れを逆転させれば、晴れた梅雨の日、つまり梅雨の晴れ間の行はないものかと上杉は考えた。
 それに晴れていると駄目なことがいい。雨の中でやることで、晴れているときでは意味がないもの。しかも傘を差して、じっと見ている程度のことで。
 できれば花に関することでもいい。
 大きな向日葵がいいのではないかと考えた。人の顔ほどの向日葵、背丈も人に近い。これを雨の日に、その向日葵と向かい合い、じっと見ている。
 しかし、今は梅雨時、向日葵は真夏だろうか。花見としては悪くはない。町内の向日葵ではなく、向日葵畑なら観賞に来たと思われるだろうから、不審がられない。
 雨向日葵。太陽が好きなはずの向日葵だからこそ、雨の日がいい。
 しかし、まだ早い。梅雨が明けた頃なら、咲いているかもしれない。これは残しておこう。
 しかし、今すぐやりたい。
 それで何とか探し出したのは、雨の日の田の水入れ。じわっと水が増えていく。それを傘を差しながら、じっと見続ける。
 上杉は、これを雨田見と名付けた。
 
   了

 

 

 


2021年5月23日

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