小説 川崎サイト

 

小宮の伝助


「小宮の伝助さんのお家は何処でしょうか」
「ここは小宮だが」
「はい、そこの伝助さんを訪ねて来ました」
「あなたは」
「行商です」
「伝助さんに呼ばれて来たのですか」
「いえ、近くに来ることがあれば、寄ってくれと言われましたので。丁度、この近くを通りかかったので、寄ってみました」
「少しお待ちを」
「あ、はい」
 
「伝助を訪ねてきた行商がいる」
「変装かもしれん」
「それ以前に、伝助を知っているらしい」
 小宮村には伝助などいない。正太郎のことで、ここではただの百姓。その裏の名を知っているとなると、少し問題。
 行商人は伝助と居酒屋で知り合い、盛り上がった。伝助は路銀もなくなり、チビチビと飲んでいたのだが、横に座った行商と親しくなり、かなり贅沢な飲み食いをした。
 行商人は儲けたので、散財したかったのだろう。しかし、大した飲み代ではない。
 そのとき、小宮村に寄ることがあれば、伝助を訪ねて欲しいと言われたが、すぐに訂正された。伝助ではなく、正太郎だと。
 しかし、行商人は伝助伝助と呼んでいたので、正太郎ではなく、伝助と言ってしまったのだ。
 小宮村で正太郎が伝助であることを知っている者はごく少数。
 立ち寄った行商人から伝助と聞いて、驚いたのだ。それで、仲間と相談することになった。
「役人かもしれん」
「片付けますか」
「しかし、わざわざ裏の名を出すのはおかしい。この村に、他に伝助はいるか」
「いません」
「まあ、いい、伝助に聞いてみよう」
「正太郎です。ここでは」
「分かっている」
 伝助こと正太郎は留守。外に出ている。村内ではない。
 弟分が留守番をしていた。兄弟ではない。兄弟分だ。
「行商人がもし立ち寄ったら、もてなせと兄貴が言ってました」
「そうか、もてなすとはどういうことか」
「わしが存じております。ここに来るように言って下さい」
「よし、分かった。お前に任せた。人数がいるようなら呼んでくれ」
「お願いします」
 行商人は伝助の家を教えられたが、何か様子がおかしいと気付いた。しかし、何処にでも事情があり、そんなものかと気に掛けなかった。
 伝助の家は百姓家で、小さい方だが、庭で煮炊きが始まっていた。近所の女衆が来ているのだ。
 伝助の弟分は母屋の一番大きな部屋に行商人を案内した。百姓娘ではなく、派手な着物の女が横に付いた。
 そこでチビチビやっていると、膳が次々に運ばれてきた。
 あのとき、居酒屋でのお礼だろう。
 伝助は、食べ過ぎ、飲み過ぎ、動けなくなったので、一泊した。
 そして、翌朝、無事旅立ち、村を出た。
 
   了

 

 


2021年5月24日

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