小説 川崎サイト

 

鬼の霍乱


 冬場は冬眠している妖怪博士だが、夏場も暑いので、夏眠している。しかし、初夏早々、夏場の鬼太郎という夏場に出る妖怪がおり、調査依頼され、暑い中、片田舎の山村まで出掛けたのだが、それですっかりくたびれてしまい、早くも夏バテ。
 結局夏場の鬼太郎はよく分からないままで、本当に不思議な現象なのかどうかも分からないまま終わっている。
 そして戻ってから梅雨がぶり返し、少し涼しくなったので、昼寝がしやすくなり、その午後も横になっていた。いい感じだ。
 ペリーの黒船が徳川の眠りを覚ますかのように、ベルが鳴る。誰かがチャイムを押したのだ。セールスだと思い、そのままにしたが、また鳴る。
 大事な用件なら、電話か手紙が先に来るだろう。直接訪ねてくる客もいないわけではないが、ろくな者はいない。その中に担当編集者がいる。
 彼かもしれないと思い、身体を起こし、玄関まで出る。曇りガラス戸にシルエットが写り、背丈から、彼のようだ。しかし、担当編集者なら、声をかけるだろう。その呼ぶ声が聞こえなかったのか、まだ決め付けられない。
「どなたさんですかな」
「僕です」
 声はいつもの編集者。しかし訪問の仕方がいつもと違う。
「開いておる」
「はい」
 鍵を掛けていないのだ。
 担当編集者はものも言わず靴を脱いでいる。それが長い。
「すっと脱げない紐靴だな」
「いえ、すっと脱げますが、ちょっと」
「いつもと違うが、どうかしたのかな」
「いえ、何でもありません。近くまで来たので、ちょっと寄っただけです」
「まあ、上がりなさい。普通の麦茶があるので」
 妖怪博士は夏場、色々と飲むものを変えている。今年は麦茶にしたのだろう。
 妖怪博士はいつもの奥の六畳に編集者を通す。いつもなら勝手に入ってきて、勝手に奥まで上がり込むのだが、その日は別人。まさか別人が来たわけではあるまい。そこまで手の込んだことを仕掛けるような人はないし、だいいち、そんな必要もないだろう。
「夏場の鬼太郎のお話は読みましたが、あれでは載せられません」
「ああ、それはいい。調査費は依頼者から頂いたのでな」
「はい」
「それを言いに来たのかな」
「いえ、それもありますが」
「倒産」
「まだ、うちは持っています」
「休刊とか廃刊」
「元々売れていませんので、問題はありません」
「それが問題じゃが」
「はい」
「まあ、麦茶を」
「頂きます」
 いつもなら、お茶とかコーヒーとかを自販機で買って持ってくるのだが、それがない。
「ちょっと寄っただけですので」
「まあ、休憩していきなさい。いつものように」
「ところで先生」
「ん、何かな」
「ああ、いいです」
「そうか。しかし、気になる。言ってみなさい」
「はい、できれば熱いお茶を頂けないかと」
「簡単なことだ。すぐに用意する」
 いつもの彼とは違う。好みや気性まで変わったのだろうか。飲むものなど何でもかまわないタイプで、そんなリクエストなど一度もなかった。
 担当編集者は熱いお茶をフーフー言いながら飲み、腹を押さえた。
「熱いのが胃に入ったのじゃろ」
「いい感じです」
「うむ」
「ところで、夏場の鬼太郎なんですが、あれはやはり鬼だったのですか。そう書かれていましたが」
「鬼太郎なのでな。そのままだ。鬼の子だろう」
「はあ、分かりました」
「あれはボツなんだろ」
「もう一ひねりあれば載せたいと編集長が言ってます」
「じゃ、嘘になる。フィクションになる。それは駄目だな」
「はい、分かりました」
「ところで、今日はどうしたのだ。様子が変じゃが」
「あ、はい」
「言いたくなければ言わなくてもいいが、何かあるのなら、聞いてもいい」
「あのう、つまらないことです。何でもないことです」
「言ってみなさい」
「朝から、腹具合が悪いのです」
「寝冷えだろ」
「はい、食べ物には気をつけていましたが」
 担当編集者は早い目に帰ってしまった。調子が悪いのだろう。
 鬼の霍乱というのがある。
 しかし、この編集者、編集の鬼というわけでもないし、それは当たらないかしれない。
 まあ、鬼には悪いが、鬼の仕業にするのは、人間にとって都合がいいのだろう。
 
   了


2021年6月18日

小説 川崎サイト