小説 川崎サイト

 

のんびりと過ごせる日


 今日は一日、のんびり過ごせる。という日はあまり有り難いことはない。忙しいときに、そういう日が来ることを楽しみにする程度。欲も得もなくなったときがいいのだろう。だから得られるのはのんびりだけで満足。ただ、その日が来たときは、それほどでもない。
 白河はそういう日を迎えた。吉日でも、いいことのある日とか、臨時収入の入金がある日でもない。
 のんびり過ごせる日、それが来たのだが、あまり意識にない。そういえば今日は予定が何もなかったと思う程度。用事を探しているようなもので、何かあったに違いないと、心配になるほど。
 だが、何もない。
 白河はそういうのんびりと過ごせる日が来たときの予定などを立てていた。時間があるのでできることで、暇なときの計画だ。
 それを思い出したのだが、それを実行する気がなくなっている。その中に、ゆっくり過ごすとか、静かにしているとかもあるのだが、どうすればいいのだろう。
 朝は早く目が覚めた。いつもよりも早い。用事がないのに早い。遠足の日の朝のようだが、そんな予定はない。だから、もっと寝ていてもよかったのだ。起きてから気付いた。今日は何もないと。だから、昼前まで寝ていても問題は何もない。
 それで、また寝ようかと思ったのだが、それは朝食後で、既に目はしっかり開いており、眠気は微塵もない。
 ゆっくり過ごせる日を与えられたのだが、何もする気がしない。白河は元々がそういうタイプで、それが地なのかもしれない。
 それで、いつも寝る前の僅かな時間だが、そこでやっているようなことをしてみた。今日なら、時間は十分にある。
 だが、昼間忙しく過ごしたからこそ、寝る前の僅かな時間、つまり余暇、これが効いているのだろう。
 ぶらりと町に出て、なかなか買いに行けなかったものでも探しに行くか、とも考えたが、やはり何もしたくない。
 つまり、トップは「何もしたくない」なのだ。
 これが一番で、それに並ぶものが見当たらない。あったとしても、何かをやる気が起こらない。
 ただ、ゆるりと過ごす時間を演出したくないので、仕掛けはしない。のんびりと過ごす、ということが用事になる。目的になる。
 やはり、用事がないと、白河の本性が出て、怠け者で、不精者になる。
 何かをしているのだが、何もしてないのと同然。これだろう。
 こういうとき、じっと座って思案しているよりも、外に出た方がいい。目先が変わる。
 しかし、それは以前にやったとことがある。そのへんをウロウロするだけで、決してのんびりとしたものではなく、いい感じではなかった。のんびりとした散歩者の演技で疲れたのを思い出す。
 のんびりと過ごせる日、何をしてのんびりするのかが、問題だ。
 
   了


2021年6月28日

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