小説 川崎サイト

 

お一人様永劫回帰


 過去に戻る。それはできないことだが、気持ちの上で、ある程度はできる。しかし、過去が今にはならないのは当然。
 過去、それは色々と指すものがある。その一部を過去に戻したいと思うこともあるが、物理的には無理なので、やはり気持ちの問題。その次元でなら未来に過去を持ってこられる。それは過去を目指すのだが、それに近いものになるだろう。
 昔の気持ちと今の気持ち、当然違うが、昔の気持ちに近いものなら寄せられる。ただ、それは過去だが、今の過去になる。そして過去の未来になる。
 そう考えると、自分は今何処にいるのか、もうこんがらがってしまうだろう。だから、ほんの気持ちの上のことでいい。どういう理屈になるのかは見ないで。
 ただ、具体的なものもあれば、具体的な行為もある。過去のものだが、それを今、やることは可能だ。これは気持ちの上だけではなく、実際の行動でも現れるので、具体性がある。今が変わる。
 繰り返される過去、しかしその都度その過去は違ってくる。同じ繰り返しはできないためだ。何処かに今が入っているし、今はもうできないことは抜け落ちている。
 一人永劫回帰。これは短い周期だろう。宇宙の始まりから見れば。
 このお一人様永劫回帰は繰り返し繰り返し戻ることかどうかは分からない。戻る度に、違っていたりする。その理屈は分からないが、遠い未来は過去にあることになり、そこを目指すのだろうか。故郷を目指すように。
 そうなると、詩だ。何とでも解釈できるし、都合のいいように引き寄せられる。
 未来は何処へ行くのか、それは人類の未来ではなく、一個人の未来。だからそんな大きなスケールにはならない。そしてせいぜい数十年の出来事でしかない。
 そして振り返る過去も、それほど今とは変わっていなかったりする。これは輪廻転生でも持ち出さなければ、歴史的な長さにはならないだろう。
 今日の晩のおかずはどうするか。以前よく食べていたコロッケに戻るか。最近は海老クリームコロッケとか、すじ肉入りコロッケとか、カボチャコロッケとかになっている。それを昔の市場の肉屋で揚げた古い油のため、黒に近い茶色になったものに戻そうか、と思ってもそんな市場はなかったりするが、その規模の戻し方、なら、半ば冗談で、気分転換でできそうだ。
 それよりも、もうコロッケなど買わなくなった場合、昔の再現でなくても、コロッケを買うだけでもいいだろう。昔はよく食べていた。あの頃が懐かしいと。
 つまり、昔のある地点や、あるものに戻そうとするのは、この懐かしさで引っ張られているのかもしれない。その中に、凝縮したものが詰め込まれているためだ。
 今、見ている先々の未来。じっくり見ていると、それは過去にあったようなことが多い。また、うんと昔の子供時代のものだったりする。
 
   了




2021年7月4日

小説 川崎サイト