小説 川崎サイト

 

不思議な画家


 見通しは立っているのだが、そこまでの道中がやや曖昧。見通しが悪いわけではないが、不安定。最後までの見通しは、既に通ってきた道なので、立っているが、ついつい立ち止まってしまう。
 だから、立ち尽くしていると逆に見通しがさらに悪くなり、分からなくなる。立ち止まらないで、さっさと通過すればいいのだが、見通しが悪いので、その一歩一歩が不安。だが、そこも何度か通っているはずなので、行けるはず。
 下田はそんなことをブツクサ言いながら立ち止まっている。しかし、これはただの休憩。一息ついてもいいところなので、それをついている。ハーと。
 だが、ここで息をついたのがいけなかった。やはり一息でさっとやるべきだった。
 下田がやっているのは絵。絵に描いた餅をやっているわけではなく、絵画。だから、絵を書いているのだ。そのときの話。
 下田は画家だが絵が苦手。しかし、不思議と依頼が来る。展示会もあるし、画商も買いに来る。決して高いものではないが、それなりに売れる。だから安いためだろう。手頃なのだ。それに絵に迫力やドキッとさせるものや、感動を覚えるようなものはなく、どちらかというとほっとさせる程度。むしろそれを買う客の方が絵も上手いのだろう。
 投資目的で買う人はいない。そのレベルの人ではないし、それ以上化ける人ではない。
 元々、絵が苦手な人で、絵の成績は悪い方。だから、本来画家になるような人ではなく、またそんなことは夢にも思っていなかった。己を知っているためだ。
 しかし、冗談で書いた絵が認められた。しかし、認められたわけではなく、こういう絵も認めても良いのではないかという認められ方だった。だから、絵の内容で認められたわけではない。一寸おかしな人が審査員に入っていたため。変な年寄りで、変化が欲しかったのだろう。
 絵が苦手な下田がどうして、絵を書いたのか。それこそ、冗談なのだ。そのため、その審査員と共通するところがある。中味ではないのだ。
 瓢箪から駒が出た。冗談から駒が出た。瓢箪に馬が入るわけがない。しかし、それが出たのだ。
 それで、先ほども立ち止まっていたのだが、その原因は、そこにある。絵など得意ではないのだから、立ち止まりっぱなし。だが、たまにやけくそになり、馬の手綱を緩める。すると走り出す。
 だから見通しが悪くても、走り出せばいつの間にか、目的地へ到着している。
 ただ、その過程は靄がかかり、見通しが悪いが、見通しの悪さは見通せているので、結果的には見通しがいい。
 下田は職業画家になってから、ずっとその状態で、いつも同じことを気にしながら、立ち止まったりしている。中味ではないのだ。それ以前の問題なのだ。
 本来絵など書かない人が書く絵。芸術でもなく、工芸でもなく、ただの下手な絵なのだが、意外とそこが盲点で、類似する画家がいないのだろう。下田は天性それを持っているというよりも、絵を書く天性を逆に持っていないことが、天性なのだ。
 実に不思議な才能だが、才能でも何でもない。
 
   了


 


2021年7月17日

小説 川崎サイト