小説 川崎サイト

 

便所の秘密


「最近機嫌がいいようですが、何か良いことでもありましたか」
 古い家並み、殆どが空き家。古いといっても時代劇に出てくるような家ではない。昔の平屋の市営住宅のようなもの。一戸建てだがお隣は非常に近い。それでも庭がある。ガレージはない。その必要がなかった時代のためだろう。
 庭と庭が隣り合っており、お隣同士、それで行き来している。どちらも、数年前に借りた程度なので、余所者だ。
 しかし、昔から住んでいる人はもういない。その孫の時代になっている。
 家は古いが一人暮らしなら十分の広さ。二階がないので、階段を上げる必要はない。
 そんな感じの隣同士の似た年代の二人が、縁側で話している。隅っこの方は板が腐りかけている。
「どんないいことか、知りたいなあ」
「大したものじゃないよ。でも手に入れた。次々とね。調子が良い」
「何だろう」
「まあ、願いが叶ったようなもの」
「それはいいねえ。しかし、何を願っていたんだい」
「大したことじゃないよ。しかし僕にとっては嬉しいこと。良いことなんだ。他の人から見れば無価値かもしれないがね」
「大願成就」
「いや、小願かな」
「願いが叶うと、あとが虚しいだろ。あ、まだ早いか。叶ったばかりなら」
「虚しいって、どういうことかな」
「叶ったなら、叶ったで、不満も出る」
「それは分かりきったことさ」
「私なんて、それが嫌で、願い事などしないし、持たない」
「だから、そんな大したことじゃなく、一寸したことだよ。願いというほどじゃないかも」
「でも、今までに叶ったこと、その後、どうなった」
「ああ、思ったほどのことはなかったことが多いけど、想像以上、期待以上のこともある。そのときは、嬉しいねえ。盛り上がるねえ」
「それは、趣味的な話かい」
「そうかな。あまり人生には関わらないよ」
「釣りのようなものか。釣っても食べないで、逃がしたりとか」
「僕は食べられない魚は釣らない。遊びで吊るのは、可哀想じゃないか。針で痛いだろ。魚も」
「三軒斜め先の家、新しい人が入って来たけど、その人も変わり者だね」
「あ、そうなの。でも新しく来た人、妙な人が多いよ。僕もそうだけど」
「私もそうだ」
「そろそろこの縁側、日が差し込むので、暑くなるよ。まあ、夏場は、ここは無理かも」
「それよりも、いいことの中味が知りたい」
「それは言えない」
「やっぱりねえ。きっと趣味性の高いものを取引しているだ」
「取引などしていないけど、探しているものを見付けるだけ。それが最近よく見付かるので、機嫌がいいんだ」
「人生の本質じゃなく、そういうことで機嫌が良くなるのか」
「誰にだって、そういうのがあるでしょ」
「まあね」
「あなたの場合、何でした。一度聞いたことがあるけど」
「それは言えない」
「やはりなあ」
「便所の秘密だ」
「そういう人が、新しく来た人には多いねえ」
「こういうところ借りる人達なので、共通するものがあるんだろ」
「そうでしょうねえ」
「おっと、長居した」
「え、もう戻るの」
「やりかけのことがあって、ちょっと休憩で来たんだ」
「それは」
「秘密」
「やはりね」
 
   了



2021年7月20日

小説 川崎サイト