小説 川崎サイト

 

飽きる


 同じことを繰り返していると、要領が分かってくる。処理が上手くなり、早くなったり、効率が良くなる。
 しかし、あるところで、それは頭打ちになる。日常的によくあること。それ以上はもうないような。普通は、そこまで行けば、もういいだろう。最初の頃に比べ、かなり慣れたということ。
 そうなると、次に何か来るのか。まずは飽きが来る。この飽きも、飽きたことさえ分からなくなるほどの飽き方になれば、立派なものだろう。
 飽きているのに、飽きない。それはいいのだが、別の方法があるのではないかとか、また違ったことをしたくなるもの。飽きてくると、そちらへ行く方が多い。
 飽きると、退屈。刺激がない。それは安定していいことなのだが、ありふれたことになり、新味がない。刺激がない。
 飽きの果て、そういうのもあるようで、飽きているのに、まだまだ何かがあるような気がして、飽きないでやることもある。実際には飽きているのだが。
 竹田はそこまで考えたあと、少しだけ、体験したことがあり、それが意外といけそうな気がしてきた。それは飽きて退屈なこと、そこに別のものを見出すという方法。または、退屈なことを見直すという方法。
「竹田君、また、分かりにくく面倒臭そうなことを考えているねえ。どういうことなんだね。さっぱり分からん。飽きれば飽きた。それだけのものでしょ」
「いえ、先生、そうじゃないのです。退屈なものの中、飽きて何ともならないものの中に、見落としているものがあるのではないかという発想です」
「あ、そう」
「この発想は、一度引いて、その飽きたものをもう一度よく見直すということです」
「それは飽きの上塗りでしょ」
「飽きを嫌っていましたが、満更悪くないと考えたのです」
「それはマンネリを楽しむと言うことでしょ」
「そんなのがありましたか」
「昔からある」
「何でしょう」
「型だよ」
「パターンですね。ワンパターというやつですね。思い出しました。ありましたありました。よく使われていたのに、忘れていました」
「型を踏む」
「はい」
「それだけで、いいんだ」
「はあ」
「それだけで、飽きなかったりする」
「その境地の近くまで行きました」
「中味ではなく型をやるのが良いとされておりますが、竹田君にはまだ早いかも」
「それほど上位のものなのですか」
「私も詳しくは知りませんがね」
「形式が大事と言うことなんですか」
「ポーズが大事」
「はあ」
「最終的には記号を発している程度になるとか」
「では抽象的なことがいいのですね」
「それでは人には分からんし、自分にも分からんでしょ。具象でないと」
「難しいですねえ」
「まあ、余計なことを考えずに、飽きている間がいいのです。なかなか飽きるほど続くものじゃないのですからね」
「じゃ、飽きるのはいいことなんですか」
「当然だよ。竹田君」
「先生も相変わらずですねえ」
「飽きなくなるよりも、飽きている方がいいのです」
「もう分からなくなりました」
「この話にも、飽いたか」
「あ、はい」
 
   了



2021年7月24日

小説 川崎サイト