小説 川崎サイト

 

妖怪トンボ


 真夏。妖怪は生きていないかもしれないが、妖怪博士は生きている。暑いので、息をしているだけ。これが出来なければ数分後にあっちへ行くだろう。そのあっちとは何処だか分からない。妖怪もそれに近く、あっちのものかもしれないが、あっちとは人が考えているところとは違うのかもしれない。
 妖怪博士もあっちの人かもしれないが、ここでは架空の人物ではない。だから、ここではなく、別のところからなら、あっちの人になる。
 そこにリアルなこっちの人が現れた。担当編集者だ。殆どは仕事のことで来ているが、たまに遊びに来ることもある。サボりに。
 今日はどちらかと思いながら、妖怪博士はいつものように奥の六畳へ通す。
 麦茶がいいか、緑茶がいいか、玄米茶がいいかと、妖怪博士が聞く。選択肢が多い。いつもは麦茶が多い。それしか冷やしたものがないときだ。
 編集者は麦茶ではなく、ビールが飲みたいようだ。いつもなら自分の飲みたいものを自販機で買い、それを持って来るのだが、その日は手ぶら。
「暑くて、ぼんやりします」
「そうですなあ。で、決まりましたか。どれにします」
「な、何がです先生」
「だから、お茶」
「ああ、何でもいいです」
 選ぶのが面倒なようだ。
 妖怪博士は冷蔵庫に麦茶と緑茶と玄米茶を入れた容器を三本立てている。玄米茶を選んだ。
「暑いとき、何ですが、来月号で赤とんぼの妖怪を出して欲しいのです」
「まだ、飛んでいないでしょ」
「そこは適当に、トンボの妖怪でお願いします」
「お願いされても、そんな妖怪など、出ていないので、何ともならない」
「そこはフィクションで」
「作った妖怪でいいのなら、いくらでも作りますが」
「来月は、それでお願いします」
「赤くなければ、トンボは既に飛んでおるがな。それでは駄目なのか」
「赤とんぼが一番分かりやすいので」
「そうじゃな。まあ、考えておく」
「別のトンボでもいいのですが、羽根が赤いので、そちらでお願いします」
「まあ、トンボの妖怪など出ておらんので、赤くても黒くても透明でも、何でもいいようなもの、しかし妖怪トンボならムカシトンボの方が、妖怪らしいがな」
「大昔のトンボですねえ」
「その形に近いとされておるだけ」
「そのトンボ、季節はいつ頃ですか」
「さあ、春だと聞いておるが」
「次の号は秋なので、やはり秋は赤とんぼ。それでお願いします」
「あまり変わらんがな。しかし、妖怪にしやすいのはムカシトンボだ。太古と繋がる。妖怪の中でも古手だろう。かなり古い。人が現れる時代から飛んでいたかもしれんからな。ムカシトンボは空飛ぶ化石だ」
「見られたことはありますか」
「ないが、見たかもしれん。気にして見ておらんだけで、普通の大きさのトンボなら、それほど形の違いはないじゃろ。羽の色や胴体の色の方が目立つ」
 話題が一寸なくなったころ、編集者は、一寸失礼といって、そのまま畳の上で横になった。そして、そのまま昼寝。だから、休憩に来たのだ。
 その間、妖怪博士は赤とんぼの妖怪の話を作ってしまった。
 赤とんぼの中にあっちから来たトンボが混ざっており、そのトンボは人にかなり近付く。自転車などに乗っているとき、併走することもある。
 これは虫の知らせではないが、何かを伝えようとしている。だが、何を伝えたいのかは分からない。しかし伝えたいものがある。それはあっちからのメッセージなのだ。
 そのあっちから飛んできた赤とんぼに寄られた人は、心当たりを思い出すこと。すると、ああ、これを伝えに来たのかと、すぐに分かる。
 妖怪博士は、そういうことを原稿用紙に鉛筆書きし、昼寝中の編集者の上に置いた。
 目を覚ませた編集者は、昼寝が足ったのか、むくっと起き出し、玄米茶の残りをゴクッと飲み、帰り支度をした。
 そのとき、原稿用紙が、フワッと舞った。胸の上に乗せていた原稿用紙が落ちたのだ。
「ああ、トンボの夢を見てましたよ。自転車で走っていると、トンボが付いてくるのですよ」
 編集者は、そういいながら、畳に落ちた原稿用紙を手にし、「ああ、もうできたのですか、早いですねえ、先生。戻ってから拝見します」
 妖怪博士は、原稿用紙で書いたのと、似たような夢を担当者が見たので、少し驚いた。
 
   了



 


2021年7月28日

小説 川崎サイト