小説 川崎サイト

 

やることがない人


「今年の夏はどうですか」
「例年になく忙しいです」
「ほう、それは結構」
「いつもなら、夏場は暑さだけを考えて、夏を越すだけが仕事のような暮らしぶりなのですが、今年は違う。夏は越せても仕事が越せなかったりしそうです」
「それは結構なことで、やることがあるだけましですよ。私なんて、自分で用事を作らない限り、家でボーとしているだけ。これじゃ、よくないので、仕事の振りをして、それなりに動いていますがね」
「振りですか」
「擬態のようなもの。詩人に化けたり、絵描きに化けたり、植物や虫の研究家に化けたり」
「面白そうですねえ」
「それなりの格好をして、外に出ますよ」
「それで草花を見たり、虫を見たり、詩作したりとか」
「そういう才能も知識もありませんから、その振りをしているだけ」
「ほう」
「そのうち、こなれてきましてねえ。意味など分からないのですが、観察が好きになりました。しかし見ているようで、見ていませんがね。別のことを思いながら、花などを見ています。聞かれるとまずいですよ。何故なら、何の花なのかは知らないのですから。よく見かける花なので、素人の方がよく知っていたりします」
「はい」
「でも、一度見た花なら覚えています。名前までは調べませんので、自分で付けるのです。便所草とか」
「臭い消しで、いい香りのする植物を便所の前に植えるとか聞きましたが。昔の汲み取り式時代の話ですが」
「いや、鼻を近付けると、臭いので、便所草です」
「詩作などは」
「川柳の出来損ないです。しかし、聞いたことのある文句とか混ざっていますがね」
「川柳とポエムとじゃ違うでしょ」
「似たようなものですよ。歌謡曲も」
「それは荒っぽい。確かに専門家じゃない発想ですよね」
「そんな振りをし、一人で遊んでいるだけですので。何々ごっこ。子供のままごと程度。しかし、ままごとは大人になるための準備でしょ。将来役に立つ。私のは役立ちません」
「それで、今日は何家ですか」
「まだ、決めていません。だから、準備もしていません。まあ、そんなものはしなくても、誰も困らない。私も困らない」
「それは気楽でいい」
「お仕事で、この夏、忙しいのでしょ」
「暑いので大変です」
「羨ましい限りですよ。そういうお仕事があるのですから」
「そろそろ戻らないと、時間がありません」
「はいはい」
「あなた、これからどうされます」
「特に化けるものがないので、市場調査家になって、そのへんの店を見て回ります」
「はい、お気を付けて」
 
   了




2021年7月29日

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