小説 川崎サイト

 

考える人


 膨大、有り余るほどの知識。過剰すぎるほど村田は蓄えている。しかし、既に忘れたものもある。古い知識が新しい知識にバージョンアップされると、古いのは消えていくが、新しいものも使わないで放置していると、消えてしまう。つまり、忘れる。
 だが、村田にとって、それは必要ではないものがかなりある。だからその知識があっても仕方がない。
 さらに生き方の知識とか知恵とかになると、半端な数ではなく、一人分としては多すぎる。そのため、知っているだけの知識で、その実践はなかったりするので、良し悪しは分からない。
 自分が実際にやってみないと判断できないだろう。実感がないので。
 しかし、全て見ているだけ、聞いているだけではなく、実際に行ったこともある。それをするために学んできたのだから。
 だが、それらはほぼ失敗。この場合、失敗から学ぶことになるのだが、合わないことをすると、失敗するというのが分かる程度。だから、そっちへ行っても伸びないことを知る程度。
 しかし、それは本当に失敗だったのかと、村田は考えることがある。もう少し我慢しておれば、何とかなったはず。
 しかし、途中で嫌になり、嫌いになり、放置する。その先に得られるものがいいものであっても、もういいか、となる。それほど欲しいとは思っていなかったのかもしれない。
 それで方法論にこり出した。これは実践はない。考えているだけ、そこでの色々な方法の良し悪しを学ぶ。ただただ学んでばかりで、実践がない。
 ただ、比べ合い、どちらがいいのかを考えているときは楽しい。どの怪獣が一番強いのかを比較するようなものだが、このとき、今までの知識が生きることがある。何故強いか、何故弱いかの理由を理屈から考え出せるのだ。
 それで、実際はどうか。これは解答がない。怪獣などいないし、それに戦うとは限らないので、結果を見ることはできない。
 そのため、正しい判断だったのか、誤った推測だったのかが分からないまま。
 そういう空論で、ますますデータが溜まる一方で、得たことに対して知的満足を得たとしても、外との関係は相変わらずのまま。
 村田はそういうことを趣味でやっているわけではなく、結果を出すためにやっている。その方法について、一寸学び過ぎただけ。
 多くを得すぎると、何も得ていないのと同じになる。そんなはずはないのだが、肝心なとき、どの方法で行くのかで迷ってしまう。
 また、その方法も未完成で、放置したままなので、実際には使いこなせないのだろう。
 
   了
 




2021年8月12日

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