小説 川崎サイト

 

気分次第


 吉田は日により気分が変わるのだが、それは誰でも。
 良い気分の日もあるが、それは朝の話で、昼頃になると、それも忘れている。気分について考える気分ではなく、忙しいためだろう。
 いろいろと考えたり行ったりすることがあるので、気分についてわざわざ一コマ作って間を置くようなことはしない。
 気分を感じるのは寝起きだろうか。目覚めのご気分、如何ですか、と誰かに聞かれるわけではないが。
 気分の良いときは、これは続かないと思い、気分の良さについて、考えないようにしている。逆に良い気分ではないときは、少しは考える。こんな悪い気分がいつまでも続くわけではないと。
 そして、何故そんな悪い気分になっているのかを考えてみる。体調の問題もあるが、それ以外のものを考察する。まずはスケジュールだろう。
 少しプレッシャーのかかる用件があるとか、初めてやるようなことがあるとか、そのあたりだろう。平ではないのだ。だから、平穏ではいられない。
 慣れたことでも、いつもよりもすんなりといくと、気分がいい。気分がいいのですんなりいくのか、すんなりといったので気分がいいのか、どちらが先だろう。
 また、良い気分、ハイテンションで、活気があり、非常に楽しいとかの場合、これは長く続くと、かえって危険だろう。何処かが切れてしまうかもしれない。だから、それを鎮めたり弱めるためのスイッチが入る。クールダウンだ。
 気分は制御できないことを吉田は知っている。これは意識的に、その態度なり、心がけでコントローしようとするのだが、これは芝居だ。とっさの場合、モロが出てしまう。
 しかし、鍛えれば、心身をコントロールできるかもしれないと思い、修行のようなことをしていた。自己コントロールだ。
 しかし、そういうことをする人ほど、ぎこちなく映る。どかでボロが出るのを知っているので、動き方や態度が不自然。取って付けたような。
 それで吉田は、気分を相手にしないようになった。ただ、どんな気分なのかを感じるときがある。気分が良いとか悪いとかは当然あるので、そんなときははいはいと確認しているだけ。それを弄らない。
 まあ、吉田の中での自然現象のようなもので、暑いとか寒いとか、風が強いとか弱いとかと同等。
 また、ある行為が苦手で、あまり気分はよくないことでも、そういうのを入れておくのも必要だと解釈するようになった。これはあとで、良い気分になる元のような物になるように思うからだ。そう思わないと、やってられない。
 ただ、吉田は気分屋ではない。気分に左右されやすいが、それは誰でもそうだろう。余程美味しいことがあとで得られるのなら、気分の悪さなど平気かもしれない。
 気分について考える吉田。これはやはりそう言う気分になっているときに、考える。
 また、気分が良いのだが、それを認めないで、そっとしておく。気分が悪いときでも同じだ。気分の悪さは感じているのだが、そっとしている。
 しかし、そんな小細工を弄しても、気分は奔流するものだ。
 
   了



2021年8月26日

小説 川崎サイト