小説 川崎サイト

 

吉野桜の葉見


「吉野の桜を見に行こうと思うのですが」
「今、秋ですよ。葉っぱだけですよ」
「はあ」
「葉を見に行くのですか?」
「いえ、でも秋が深まれば葉も見られなくなりますので」
「しかし、桜は花見でしょ。花を見に行く。葉見じゃない。桜が散ってから、春夏秋と、ずっと葉はありますよ。だから珍しくはない。よって見に行く気にはならない。いつでも見られるのですからね。冬に葉を落とすまでは」
「じゃ、嵐山のモミジを見に行きます」
「まだ、早い」
「はあ」
「あれは紅葉してこそいいのです。紅葉の代名詞がモミジ。カエデもありますがね。イチョウもありますが、あれは黄色い」
「青いモミジじゃいけませんか」
「いけなくはない。私は好きだが、見に行く人は希でしょ。それにその時期、それを見に行くそれ風の人もいない」
「はあ」
「この時期はこの時期のものを見に行けばいいのですよ。萩とかね。桜のようにピンク色で、少し濃いですが、派手に咲いているし、固まって咲いているところもありますよ。萩の寺とかね。似たような場所はいくらでもある」
「はあ」
「葉がいいのですか?」
「はい、葉が」
「まあ、人好き好き、しかし葉ならいくらでもあるでしょ。遠くまで出掛けなくても」
「吉野の桜が見たいのです」
「葉を」
「はい」
「まあ、あのあたり、桜の季節でなくても、人が行くでしょ。吉野朝があった場所ですからね」
「ああ、南朝」
「上手くいけば桜の紅葉がほんの少し見られるかもしれませんねえ。山なので」
「それなんです。桜の咲き始めのように、紅葉の初め頃が」
「おお、それは悪くないですよ。花はないが、全ての葉が緑じゃない。黄色いのや茶色いのが混ざっている。これはいいかもしれませんね」
「印象派です」
「でも花見じゃなく、わざわざそれで吉野まで行かれるのですか」
「花見時の騒がしさが嫌で、紅葉の頃の騒がしさも嫌なので、葉にしました」
「あ、はい」
 
   了


 


2021年9月28日

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