小説 川崎サイト

 

涅槃


「人生はままならぬ」
「そうですなあ」
 田舎街道の茶店。偶然出くわした二人が、いきなり重い話を始めた。誰かに聞いて欲しかったのだろう。運良く、その話に合わせてくれる旅人がいた。二人とも旅人だが、似たような身分で、似たような服装。商人だろう。
「自分の思う通りにはなりません」
「それを我が儘というのでしょうねえ」
 いきなり、断を下すように、押さえ込もうとした。
つまり人生は我が儘ができないというようなことだが。
「商売が上手くいきませんか?」
「はい、思うがままにはなりません」
 聞き手は、我が儘を我がママと引っかけようとしたが、このママは、ご飯のこと。だから我が飯。食べるのもままならぬと言うようなことだが、ママが重なりすぎている。聞き手は自重し、その話を避けた。
「いや、商いだけのことではなく、人生というものが」
 スケールが大きくなった。
「もうこの年です。そろそろ悟ってもいいのですが、我執が強くて、何ともなりません」
「そういえば悟る寸前にいた老僧が本当に悟ったと聞きましたよ」
 言葉の綾ではなく、本当に悟ったようだ。
「おお、それは参考までに見たいもの。何処でした」
「枝雀寺です。宿坊があり、そこに老僧がおられます。庭がありまして、覗けるとか。それを見た人は多いのです。だから、噂が拡がった」
「それは是非教えを請いたい、行ってみます」
「誰でも悩みはありますよ。煩悩というやつでしょ。だからあなたも気にしなくてもいいのでは」
「そうなんですがね。しかし、悟れるものなら、悟りたいが、出家するわけにはいきません。だから、その老僧の爪の垢でも煎じて飲む程度でよろしい」
「しかし、枝雀寺はここからでは遠いです」
「物売りのついでに行ってきます。そっちの方面へは滅多に行かないので、よく売れるかもしれませんから」
「はい、お気を付けて」
 
 旅の商人は、物売りをしながら、数日後、枝雀寺に登った。山寺で、修行の寺のようだ。
 中腹に、宿坊が多くあり、やっと老僧がいる建物を見付け、その裏に回った。
 既に庭先から覗いている人が何人かいる。しかし、老僧は庭には出ていないし、縁側にもいない。奥にいるのだろう。
「今日は無理じゃな。出てくる様子がない」
「一目みたい」
 そんな話をしているとき、一度見た人が目撃談を話した。
 色々とそのときの様子を語っていたのだが、一人が口を挟んだ。
「それはボケておられるのではないのですか」と。
「確かに惚けているようにも見えたが、あれは涅槃に入った人の顔じゃった」
 旅の商人は、それを聞き、さっさと山を下りた。何か安心したかのように。
 
   了

 


2021年10月1日

小説 川崎サイト