小説 川崎サイト

 

ススキヶ原の物怪


 ススキヶ原。そこは何か出そうな雰囲気がする。一面の原っぱ。草地。ススキは背が少し高いので、中に入り込むと、空しか見えなかったりする。これが麦畑ならしゃがまない限り見通しはきくだろう。
 しかも規則正しく植わっている畑なので、碁盤の目のようなので、分かりやすい。
 自然に群生しているススキは集まり具合が分かりにくい。枯れているものあるし、これがススキかと思うほど背の高いのもある。
 お月見で供えるススキなら、風雅を感じるが、群生していると、寄り付きにくい雰囲気がする。これが人の群衆なら、慣れているが、草なので、勝手が違う。また、ススキだけが生えているわけではない。虫もいる。少し踏み込んだだけで、手が痒かったりする。
 秋の夕暮れ前、そのススキヶ原に物怪が出ると言われている。いかにもいそうな場所。斜光を浴びたススキは、急に表情があるように思われる。草の表情、そんなものがあるのかどうかは分からない。
 顔が何処に当たるのかが分からない。おそらく穂の箇所だろう。それよりも、少し風が吹くと、揺らぐ。これがまるで、ススキが自ら動いているように見える。
 たまに風もないのに、揺れているススキがいたりする。大きな虫とか、鳥。または下に何か動物でもいたのだろう。
 見た限りの一面のススキの原っぱだが、見えていないだけで、色々なものがいるのだろう。
 ススキヶ原、物怪ヶ原ともいう。ススキの化け物ではなく、ススキを好む妖怪がいる。子供ほどの小ささだが、頭は殆ど禿げた年寄り。
 神仏は死なないが、妖怪は死ぬ。だが、もの凄く長生きなので、千年以上生きるのもいるらしい。しかし、そういう寿命を計った人はいないので、ただの言い伝えだ。
 ススキが原の物怪、獣なのだが、和服を着ている。着物だ。かなり昔の着物で、着替えはどうするのだろう。
 物怪は千年以上の寿命があっても、着物はボロボロになるはず。その都度、調達するのだろうか。買いに行くのだろうか。しかし、子供の着物でないといけない。大人の着物では合わない。
 それに下は袴。調達しやすいものとしては、七五三の五歳児の和服。または小学校の入学式だけに着るような和服。
 それは売っている。それを何らかの手を使い、買うのか、もしくは妖怪なので、さっと持ち去る術でもあるのだろうか。
 しかし、ボロボロの着物を着た子供が、そんな売り場などには入りにくい。
 七五三の帰り道を狙い、追い剥ぎ振る舞いでもするのかもしれないが、そんな話は聞いたことがない。
「先生、また空想ですか」
 妖怪博士宅に担当編集者がやってきた。
「ああ、私の好きな妖怪で、物怪というのがいてね。たまに今頃どうしているのかと想像するのじゃ」
「その妖怪物怪、何度か記事にしましたから、別のを考えて下さいよ」
「物怪は私が創作したものではなく、物の本に出てくる」
「はいはい、それは何度か聞きました。菅原道真が飼っていた妖怪でしょ」
「違う、別の公家だ」
「あ、そうでしたか」
「まあいい。ススキヶ原の妖怪。これは見たいものだが、そんなススキが群生している場所が、思い付かん。見果たす限りのススキの原なのでな」
「一寸辺鄙な場所の山沿いに行けば、あるかしれませんよ」
「遠いと駄目なんだ。都に近くないと。つまり、里から離れすぎては駄目なんじゃ」
「探せばあるでしょ。見かけたことがあります。工場跡の更地とかで」
「まあいい。実は、そのススキヶ原、原そのものも妖怪なんじゃな。原っぱの妖怪。場の妖怪」
「はいはい。次は冬の妖怪を準備しておいて下さい。秋ネタは、もういいですから」
「ああ、分かった」
 
   了


2021年11月14日

 

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