小説 川崎サイト

 

地下街の迷宮


 巨大な駅ビル。まるでショッピングモール。駅の改札やホームは、まったく見えない。
 その建物は外にも拡がっており、長距離バスのターミナルや、別の鉄道の駅とも繋がっているが、地上からはそれらの駅も見えない。地下になっている。地下は複数の地下鉄路線が根のように拡がっている。
 広田は昔、この駅で九州から来た老人に道を聞かれたことがある。駅は何処だと。当時でもホームも線路も見えなかった。既に駅舎にいるのだが、そこが駅だとは分からなかったのだろう。
 老人は、ここへ来るのは226事件以来だという。そして、今日は曾孫の結婚式なので、ここまで来たと。
 広田の若い頃だ。今はそれを笑えない。当時よりも駅は巨大になり、それが駅だとは分からないほど。
 地下街は迷宮のようになっており、新しくできた駅もあり、そこへも繋がっている。
 駅と駅とを地下道で結ぶだけのもので、ただの地下トンネルだ。その壁沿いに商店ができ、さらに拡張され、他のビルの地下とも結ばれ、アリの巣のようになっている。
 広田は、そこはよく知っている場所で、通勤路でもあるので、地下通路や抜け道や、地下の商店街などを隈無く歩いたことがある。
 その総延長、通路を直線で直したときの長さは商業施設としては世界一だろう。日本一長いアーケード付きの商店街も、一駅向こうにある。
 広田の錯覚は、そこで起こっていたのだ。今風に洗練された地下街の通路沿いの店舗などを見て歩いているとき、その奥の、さらに奥へ入ったところにある枝道。これはトイレの入口に多いが、そうではなく、抜けられる。そして照明が暗くなっていき、もう行き交う人もいなくなる。
 ここは関係者以外立入禁止なのかもしれない。地下施設の管理のための隠し部屋のようなものがあるのかもしれない。またはさらに地階があり、そこが緊急時の管理センターだったりしそうだ。
 本当は鉄の扉が閉まっていたのだが、開いていたのかもしれない。それで気付かないで、通ってしまった。
 その先へ行くと、前方に派手な色が見える。暖かそうな色で、裸電球の色。工事中にしても、今どき裸電球など使わないだろう。
 色目は複雑で、色々な色が見えだした。そして形も。そしてざわめきも。
 何か声を発しているのだが、聞き取れない。叫び声ではない。危機感はない。
 さらに近付くと、様子が分かった。店屋ではないか。しかし、タッチがこれまでと違う。
 匂いがする。味噌臭い。またソースの匂いも。ラーメン屋の味噌味と醤油味のような。しかし、ラーメン屋ではない。店屋の数が多そうだ。
 さらに近付き、そこに足を踏み込んだ。
 商店街だ。上を見ると天井が高い。地下ではない。アーケード付きの商店街。
 地下街の奥まで行きすぎて、お隣の駅前にある商店街まで来てしまったのかもしれない。
 これは噂に聞く、地下街ダンジョンの最深部から入り込める隠された商店街なのだ。
 226事件以来の老人と同時に、広田はこの妄想のようなファンタジーを思い出し、煙草に火を付けようとしたが、全域禁煙だった。これではケムにまけない。
 地下ダンジョンではなく、地上の駅ビル内で、広田は時代の煙にまかれ、迷子になっていた。
 
   了

 



2021年12月12日

 

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