小説 川崎サイト

 

悟らなかった人


 正三は子供の頃から思慮深く。賢い子として村で知られていた。このまま百姓をやらせるより、別の道があるように思えたので、親は外に出した。幸い三男だったこともある。
 村を出た正三。これは、子供と大人の間ぐらい。どちらかと言えばまだまだ子供。外に出てやれることと言えば丁稚奉公ぐらい。
 また、お寺という手もあったが、親は僧侶を嫌った。あまりいいものではないと。これはただの好みの問題かもしれないが、以前、何かあったのだろう。それは言わないが。
 小者として武家奉公もあるが、侍になれるわけではないし、またそのツテもなかった。
 丁稚奉公は馴染みの行商人から紹介された。そこがどんな商家なのかは分からないが、賢い子なので才を発揮するかもしれないと期待した。
 そして期待通り、算術に長け、あっという間に帳場仕事になり、辛いとされている丁稚奉公から免れた。
 また、賢い子なので、要領が良く、人との接し方も旨かった。相手の気持ちが手に取るように分かるらしい。
 親もこれで安心した。思っていた通りの展開になったため。やはり外に出して良かった。
 しかし、正三は、何が不満か、辞めてしまい、その後、諸国を転々とする。
 賢い子、今はもう立派な大人だが、何でもこなし、人当たりも良いので、どの地へ行っても食べることには困らなかった。
 不満がある。これが何なのかが分からないが、そういう性癖なのかもしれない。
 それなりに小銭も貯まり、人に雇われなくても、やっていけるようになる。家も構え、家族も持った。
 しかし、何か不満がまだ残っている。
 ある日、旅の高僧が近くのお寺で泊まっていると聞き、相談に行った。その僧、悟ったのではないかと思われている高僧で、逆に近寄る人がいなかったりする。
 そのため、高僧はお寺で暇そうにしていた。近在の人達が詰めかけ、有り難い法話などを聞きに来るとかではなかったのだ。
 そのため正三は簡単に会うことができた。
「悟りたいとな」
「そうです。ずっと不満があり、それを解決するには悟るしかないと思い付きまして」
 正三がこれまで僧侶と会うのをためらっていたのは、親の坊主嫌いが残っていたためだろう。しかし、今回は滅多に会えない高僧で、しかも悟っていると聞いたため。
「辞めておきなされ」
「悟るのをですか」
「暮らしぶりができませんぞ」
「はい」
「それでもよろしいか」
「それは駄目です」
「じゃ、悟るなど考えぬ方がよろしい。拙僧のようになりますぞ。誰も相手にしてくれない。また付き合いにくい坊主だと思われておる」
「悟るとどうなりますか」
「別にどうもならん。そのままじゃ」
「あ、はい」
「あなたが思っているようなものじゃない」
 正三が受けた教えは、悟らぬ方がいいと言うことだった。正三はすぐにそれを悟った。
 所謂、悟らぬことを悟ったと言うことで、その後、正三の家での家訓となった。
 正三は、その後、大名や公家を操るほどの商人になり、幕末、影で活躍した。
 
   了


2021年12月19日

 

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