小説 川崎サイト

 

出石老


 出石老はもう昔の人で、他の人達はその人を乗り越えてきた。子供が親を乗り越えるようなもの。
 子供はその時代の風を受け、親は古い時代の風を受けている。という親子の話ではなく、少し前の権威で第一人者が出石老。出石翁とも呼ばれている。
 出石老を乗り越える。これはのちの人、次の人にとっては当然かもしれない。また出石老も完璧ではない。
 その欠点を突き、新たなものを生み出すのがのちの人の癖のようなもの。出石老、そうじゃないでしょ、と否定するような人達が多い。
 確かに出石老は古い人だったので、その時代では分からなかったことを考えていた。それが間違いだということはのちに分かるのだが、さらに時代が進むと、間違いではなく、出石老の言っていたことは正しかったかもしれないとなる。
 それで見直されたりするのだが、古い服を着たくないし、出石老の言ったことを間違いだと言ってしまった手前、認識を変えるわけにはいかないので、出石老はやはり間違っていたことにするしかない。または何とか間違い箇所を探し、正確ではなかったし、お粗末だったということにした。
 どちらにしても出石老は踏み台。そのため、出石老から遠く離れ、出石臭さを消していった。
 ところが後輩達、その後の人達は先へ進めないほど行き詰まってしまう。先へと進む道がない。それで再び出石老。つまり、昔の人だが、そこに良い道があるのではないかと、考えた。
 だが、捨て去り、否定した出石老の世界に戻るわけにはいかない。
 出石老は昔の人なので、今、考えると間違いがあるかもしれないが、出石老に好意的な人は、それは時代的にはそんなものだと助け船を出している。
 しかし、助けるにしては、もう昔の人。故人だ。
 出石老を否定することは簡単で、また、新しい人ほど否定度が高くなる。私は新しいことをやっているのだという感じで。
 それで、まともには出石老のことを見直せない。出石老を否定した次の時代の人達は、出石老と同じように、さらに次の人達により否定された。それで否定の否定で出石老が肯定されたわけではないが、見直されたことは確か。しかし正面切って肯定できないので、隠れ出石派となった。
 出石派だと名乗ると、古臭いと思われるし、既に終わった人だと思われていたので。
 
   了


 


2021年12月29日

 

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