小説 川崎サイト

 

動くお爺さんの古時計


 新年早々、妖怪博士は山際へ来ている。山の麓。高い山ではない。一帯は閑静な住宅地。山を削って強引に建てたような階段状の分譲住宅地ではなく、昔からある丘陵で、高低差はあるが、元の地形のまま。
 大きな家の屋根が見えるが寺ではない。林は多いように見えるが、殆どが庭木。元々生えていた樹木も取り込んでいるのだろう。
 山麓の丘陵、その下はよくある宅地で、その先は今風な市街地となる。
 丘陵近くまで来ると、緑が多くなる。先ほど言った大きな家がある場所。
 その一軒を妖怪博士は訪ねた。依頼はそこから。当然、妖怪に関するものなのだが、妖怪が出たので、調べて欲しいというのはあまりない。個体として肉体を持つ妖怪など、滅多にいない。いれば大騒ぎだろう。それはもう妖怪ではなく、モンスター。化け物だ。
 妖怪が出たというので、行ってみると、そこに妖怪がいた。ということは殆どない。だから、妖怪博士も安心して調べに行ける。
 今回は振り子時計。それが妖怪化したものだろううか、これは妖怪ではなく、物が変化したもの。だから物怪といった方がいい。
 物そのものには迫れないとはプラトンやフッサールが言っている通り、物の実体というのは曖昧なのだ。といって、普通の物だと思っていた機材や家具などが実は物怪だったというようなことはほぼ有り得ないだろうが、否定はできない。
 その僅かな隙間を妖怪博士は見ようとしているのだが、結局は到達できない。それは人が見るためだ。
 しかし妖怪博士は物自体に到達できると考えている。
 樹木に囲まれた大きな家、その中の一軒の門を妖怪博士は潜った。
 和室にしては天井が高い。畳敷きだが柱が長い。長い柱なので、巨大な柱時計が立っている。かなり重そうだ。
 これがお爺さんの古時計で、百年は刻み続けているらしい。そのメンテナンスは大変だったに違いない。今、こんな背の高い振り子時計など売っていないだろう。
 それが妖怪、物怪、何でもいいが、異変があった。ただし、おかしな動きをしただけの話。
 スマホの動画で孫娘を写していた。画面の真ん中に孫娘、窓が後ろにあり、庭木の繁みが見える。そして振り子時計が片隅に写っている。これだけだ。静止画とは違い、動画なので動きがある。また音も入る。
 孫娘が何かを喋っている。歯の生え替わりなので、妙な歯並び。その子が妖怪お歯黒に見えた、などなら、もの凄く分かりやすいが、似ているという程度で、孫娘のまま。これは妖怪ではないが、動画ではその子ばかりを見るだろう。
 遊びに来た孫娘。依頼者はその記念に写しただけ。そして、あとで再生していたとき、妙な気になった。気だけではなく、動きが妙なのだ。
 それが柱時計の振り子。その振り方がおかしい。左右に振る振り子。丸い玉が下の方にあり、これが錘のようなもの。そのスピードがゆっくりすぎたり、早すぎたりする。
 画面の左端だ。そんなものなど、ほぼ見ないのだが、依頼者は、それに気付いてしまった。
 これは柱時計に問題があり、故障しているのではないかと思い、修理の人を呼んだ。これは探さないとそんな人はいない。百年前の時計なのだ。部品もないだろう。作らないと。
 しかし、その時計屋、既に廃業しているが、その種の古い時計に詳しい。だから、たまに時間が狂いすぎたり止まったりしたときに見てもらっていた。その縁があるので、今回も頼んだが、正常。故障ではない。
 動画を見せたが、動画に問題があるのだろう。カメラに、という話で終わった。
 依頼者は、普通の人。動画を弄って、そういう動きを作ったわけではない。また、そんなことをする必要もないだろう。記念写真を写したようなものなので。
 妖怪博士は、そこまで聞いた上で、その柱時計を見ている。当然振り子の動きも。だが、特に変化はない。
 依頼者が妖怪だと言ったのは、柱時計そのものでも振り子でもない。それは隠していたが、それを明かした。
 子供の頃、うんと小さい頃だが、柱時計の中に入ったことがあるらしい。これは大きいので入れる。すると、振り子が止まる。
 動画での振り子の怪しい動きは、何者かがその中に入って振り子の動きを変えたのではないかという説。これは恥ずかしそうな顔だが、真顔で妖怪博士に話した。
 柱時計内の隙間に入り込む妖怪などいるものかどうかを妖怪博士に尋ねた。
 妖怪は特化した動きをする。しかし、柱時計の隙間に入るのが好きな妖怪など、聞いたことはなかった。
 しかし、時計とは関係がないのかもしれない。妖怪と柱時計の深い関係ではなく、問題はその空間だ。狭い場所。人などそんなところには先ずは入らない場所。また小さな子供ぐらいしか入れないような場所。そういう狭い場所が好きな妖怪ならいる。
 だから、振り子の動きを変えてやれ、という妖怪なのではなく、振り子に触れたので、そうなったとみるべきだろう。と妖怪博士は説明したが、これはこれで、苦しかった。
 そして、じっと振り子を妖怪博士は見ていたのだが、変化はない。地震とかで振るのをやめることはあっても、先ほどの動画以外で、そんな妙な振り方をしたのを見たことがない。
 だから、いくらじっくりと妖怪博士が振り子の動きを見ても、変化が起こるわけではない。
 それでは妖怪博士が調べた甲斐はないし、依頼者もそうだろう。そこでそのスマホの動画ファイルをコピーしてもらった。ファイルはスマホではなく、依頼者のパソコンのハードディスクに移していた。
 戻ってから妖怪博士は担当の編集者にトリックがあるかどうか、手が加えられていないかどうかを専門家に見てもらうことにした。
 その結果が出た。繋ぎ目や色目などで、弄った場合、それとなく分かるらしいが、スマホが掃き出した撮って出しの動画で、一切弄られた形跡はないとか。また、弄るとしても、依頼者しか弄れないだろう。
 ただ、動画でしか、その怪しい振り子の動きは見られないのだから、動画でしか捕らえることが出来ない動きなのかもしれない。そうなると、やはり、中に何か、いたことになりそうだ。
 人の目では捉えられないが、カメラでは動きが写るのかもしれない。
 妖怪博士は、ここで止めた。その振り子をもう一度スマホなり、ビデオで写せば、再現できるかもしれないが、あのとき、孫娘を写したときだけに現れた動きで、もう一度写しても、駄目なのではないかと思ったのだ。
 しかし、本当にそう思ったわけではない。面倒になったので、妖怪博士は、そこで打ち止めにした。
 物には到達できない。ましてや物怪には。
 それで、依頼者への報告だが、孫娘が遊びに来たので、それを喜んだお爺さんの古時計も喜んで手を振ったのだと。
 このお伽噺、依頼者は素直に受け入れたようだ。
 
   了

 



2022年1月3日

 

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