小説 川崎サイト

 

灯台下暮らし


 探し物はないとされているところにあったりする。何故なら、ないと思っているところなので、探さないため。
 眼鏡がない。しかし掛けていた。だが、探す。メガネのレンズを目に当てて探していても、メガネは見付からない。しかし、眼鏡を掛けているのだから、それなりによく見えるはず。度が合っておれば眼鏡がないと言って探す必要はない。
 しかし、わざわざ度が合わない眼鏡をかけるだろうか。これは老眼が進み、見えにくくなっている場合もある。
 そうではなく、普通に見えるはずなのに、よく見えない。だから、眼鏡がないので、探すことになる。
 この場合もよくある例で、眼鏡は掛けているがレンズは頭の上にある。眼鏡を上げていたのを忘れているのだ。
 しかし、耳に引っかけてあるので、耳の感触で分かるのだが、眼鏡と耳の関係はもう慣れているので、何とも感じないのかもしれない。
 だから、いくら探しても、ない。別の眼鏡が見付かるかもしれないが、今まで掛けていた眼鏡ではない。どこかに置いたはずと、そのへんを探す。
 眼鏡を置きそうな場所とか、眼鏡を外すような場所とか。
 しかし、頭の上にあることを思い出すのはもっと先。確かにそういう状態が今までにもあったので、それに気付くのが遅い場合と早い場合がある。
 この場合の頭の上の眼鏡は置いたのとはまた違う。一寸上げただけ。だが、非常に近い場所にある。というよりも、眼鏡は耳に掛かっている。
 だから既に掛けている。掛けていないと思っているので、探す。
 昼間、眼鏡を探し、見付からず、寝るとき、やっと掛ていたことが分かった、などは滅多にない。何処かで気付くだろう。これは時間の問題かもしれない。横に人がいれば、教えてくれたりする。
 ただ、眼鏡がないということを言わないと、教えてくれないだろうが。
 灯台下暗しというが、灯台の下で暮らしている人と間違いやすい。灯台の下。その近くに家があり、そこで暮らしているのだ。そうではなく、灯台の下は暗いと言うことだろう。よく見えない。
 まあ、遠くを照らす灯台なので、灯台の真下は薄暗いのだろう。灯台の明かりが当たっていない。
 探し物は近くにあるのだが、近すぎると、盲点のようなもので、見えていないのかもしれない。というよりも見る気がなかっりする。
 逆に自分や自分の周辺、すぐ近くのものは非常によく見えているが、遠くはさっぱり、というのもある。
 こちらが普通だろう。遠くばかりを見ていると、足元が疎かになり、躓いたりしそうだ。
 まあ、そんな極端な人はいないかもしれない。近くを見たり遠くを見たりと、結構キョロキョロしているもの。ただ、たまに遠くばかり、または近くばかりしか見ていないときもあるのは確か。
 
   了



2022年1月4日

 

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